大手エアライン・パイロットの制服の変遷

大手エアライン・パイロットの制服の変遷


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 趣味で大手エアライン・パイロットの制服の変遷を調べています。

<目次>----------------------------------------

1. 日本航空パイロット

2. 全日空パイロット

3. 日本エアシステム・パイロット

4. パーサー・スチュワード

5. フライトエンジニア

6. 教官、その他

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1. 日本航空、JALパイロット>

初代>

図> 初代のロゴマーク

制帽(初代JALマークが特徴) 現在の日本航空の設立は昭和28年10月(1951年)。鶴丸マークが登場し、社章として正式採用されるのが1965年なので、この帽子のデザインは14年間あったことになり、少なくとも57年以上前のもの。この時代は、帽章下部がわざと黒リボンの下に埋め込んであるのが特徴。つば部分のデザインが、自衛隊風の派手なデザインになっているのも特徴。当時30才の機長ならば、現在は87才以上になっているハズ。JALにおいては1953年頃から、鶴の絵(画家の永井郁氏がJALの広告向けに鶴を描いたのが始まり。もともとは千羽鶴が起源。)を、広告で用いていたのでJAL=鶴のイメージが出来た。

制服(紺色で羊屋製のオーダーメード。この時代、ボタンは標準で銀色。この時代、ジャケットの胸章は最初から縫い込んである。動きやすいように背中脇部分にタックが入っている。)


写真>胸章



写真>羊屋の初期ロゴマーク(制服の内側用)






初代後期と思われるジャケット(1954年あたり)。洋服の生地が初代に比べて明らかに黒く、ボタンは金色。胸章も初代はJAL部分が銀色であるのに比べて、本品は金色。ラベルは「羊屋」で御茶ノ水、東京と記述。以下の羊屋のラベルは神田、銀座、東京と記述。以下のパイロットも黒地の制服を着ている。羊屋のロゴも、初代をベースに改良していることがうかがわれる。



当時のJAL案内パンフレットに載っていたJAL初代パイロットの制服姿。帽子に鶴丸マークがないのが特徴。服は機長用4本線なのに、制帽は副操縦士用なのが、違和感あり。他の資料でも、機長は月桂樹の入らない、現代でいうと副操縦士(コーパイ、コーパイロット)の帽子をかぶっているので、この時代は、飛行時間が一定以上の機長が月桂樹入りの制帽をかぶっていたのかもしれない。このパイロットのボタンは銀色。


羊屋の後期ロゴマーク(制服内側用)神田、銀座、東京と記述。ロゴがシンプル化されている。

2代目>-----------------------

二代目のロゴマーク



制帽(前期モデル、鳩の首が短いのが特徴。一般に、羊屋製マークが入った帽子は、帽子内側で額にあたる部分の革が茶色であるので、内側が茶色の帽子は古い。内側が黒色の革は新しい。)また、後期型は鶴丸部分が平坦であるのに対して前期型は鶴丸の中央部分が少しくぼんでいるのも違うポイント。

 ジェット機の導入と同時に鶴丸がデザインされたのは1959年、社章として正式に採用されたのは1965年なので、本帽子で最も古いのは57年は経っている。1958年頃は、当時の国際線で、主要な客はアメリカ人であり、アメリカ人から見て日本を想起するもの&当時、JAL=鶴のイメージが出来つつあったので、鶴をモチーフとしたブランドマークを作成することになって初代鶴丸マーク(具体的にはタンチョウ鶴がモチーフ)が完成した。冷静に見るとこの帽子には鳩と鶴の2種類の鳥がいることになる。丹頂鶴(丹頂は頭が赤いという意味)は、江戸時代は日本各地に生息し、日本で鶴といえばこの丹頂鶴を意味していた。


制帽(おそらく後期モデル、鳩の首が長いのが特徴)。資料によると1978年もこのデザイン。



制帽の頭頂布の交換部品(昔、男性はポマードで整髪するのが普通で、汚れ対策でビニールが貼ってあり、ビニールが劣化すると、布自体を交換するために、替え部品が支給されていた。)

制服(黒色、初期は羊屋、その後松坂屋(表示はMATSUZAKAYA)、オンワード製になって、1980年代はベトナム製でJAPAN AIRLINESと表記されるようになる。)

胸章


羊屋ロゴマーク(ズボン用、1969年製(昭和44年)と読める。)


松坂屋製ロゴマーク(おそらくズボン用。この時代、羊屋の廃業によって、松坂屋製になった。)

オンワード製のジャケット

オンワード製ジャケットのロゴ



Japan Airlinesロゴマーク(1980年台。羊屋、松坂屋(MATSUZAKAYA)、オンワード製の後に、このマーク(日本のサンリット産業(1999年頃)や、ベトナム製の既製服)になり、おそらく以降の制服などはすべてこのマークと思われる。初期の羊屋製ジャケットは、襟の剣先が長いのに対してベトナム製は剣先が明らかに短いのが違う点。



パイロット支給コート(おそらく初期版、1965年以前?、羊屋製、ロゴマークが見えている。これにはクリーム色の取り外し可能な裏地がついていた。 )


パイロット支給コート(ダブルの6個ボタン仕様。1969年 羊屋製。ロゴマークが見えている。)


3代目>JAL四角マーク時代(1989~2002)-------------------

三代目のロゴマーク






JAL四角マーク時代のパイロット用ネクタイとラベル

(JALマークが刺繍。ラベルは、羊屋のPHOENIX、及び、松坂屋のselected CRAVAT、Japan Airlines。この時代の初期は羊屋製で、羊屋の廃業に伴って松坂屋名義で制服を作り出し、その後、コストダウンによって独自ブランドの「Japan Airlines」にしたと思われる。2012年までのJALアーク時代にもCRAVATブランドのネクタイもあるので、松坂屋製と、独自ブランド「Japan Airlines」が並行して用いられた時代があったのかもしれない。

 制服は1999年はサンリット産業製なので、ネクタイは1990年頃には羊屋から松坂屋名義に変更されたのかもしれない。四角マーク時代は2002年までなので、少なくとも20年以上前のネクタイ。


4代目>JALアーク時代(JASを統合した時。2002-2012)---------------------

4代目のロゴマーク


制帽(鶴丸が廃止された時代)

制服(脇にアーク時代の制帽を挟んでいる)


副操縦士用の制服(この時代はジャケットの胸章は、全日空用制服のように後つけ式に変更されていた。現在のJALパイロット用制服も、おそらく、後つけ式と考えられる。)




ジャケット、Yシャツのラベル(書体からJALアーク時代であることが分かる。)

胸章

JEX(JALエクスプレス社)が事業停止したのが2011年で、この時代のJEXパイロットのネクタイは「selected CLAVAT (松坂屋製)」であった。



上記はJALWAYS時代(1990-2010)の帽章と胸章。デザインから考えると2002年以降の晩期もの




下は、JALアークマーク時代のネクタイで松坂屋製



5代目(現行モデル)>---------------


五代目のロゴマーク


制帽(鶴丸の復活)

制服(生地は漆黒色)


胸章


現行品? 訓練時 教官用帽子


2.全日空、ANA>

初代制服>

制帽(副操縦士用、つばに模様がない)


全日空は昭和33年(1958年)設立。制服(この制服の胸章は取り外し式だが、この前の時代の制服は胸章が縫い込んであるタイプもある。腰回りがぴったりしたオーダーメードで袖の作りがオーダーメード特有の形をしている。羊屋製)。手元の資料によると、少なくとも昭和46年(1971)年は、この制服(濃紺色)であることが明らかである。トライスター導入は1974年。JALの例を考慮するとYシャツは、おそらく羊屋製で夏は日本航空とは異なり開襟シャツだった。


初代の胸章(手元の資料によると1986年の写真でANAのパイロットは胸につけている)


2代目制服>-----------------

資料によると1981年はこの青い制服を着ている。


制帽(この時代の制服は、明らかに青いのが特徴)、帽子内側は黒色革で、メーカー名の記載はなし。




制服(4つボタンが特徴、胸章は取り外し式、東京高島屋製オーダーメード)、Yシャツも高島屋だった可能性あり。ネクタイは、黒ではなく、斜め模様の入った濃紺色。


1981年 全日空機長の写真例(胸章は赤いダビンチマーク)



青色4つボタン制服時代は、高島屋が制服を担当していた。




2代目?胸章(初期はANAの文字が丸いのが特徴。後期は縦長になる。)


2代目制服時のANAグループのネクタイ。この時代、制服も高島屋製。




3代目制服(現行モデル)>-----------



制帽

制服(濃紺、胸章は取り外し式、松坂屋製)

現行胸章




制服(初代制服に感じは似ているが、初代はオーダーメード、現行モデルはボックス型で、腰回り袖幅がゆったりしている。松坂屋製。現在の制服はネクタイやシャツの例から推測すると伊勢丹製。)


おそらく現行の肩章。昔の肩章は、筒形だったが、現行のものはマジックテープ式で簡単に取り外せる。全日空らしく、生地は濃い紺色。


CRAVATと入っているので松坂屋製。3代目制服は松坂屋製なので、このネクタイも現行制服のANAグループ用と思われる。CravatはANA向けは「Exellent Cravat」と名乗っていたようだ。

現行型のシャツは前期は松坂屋製(漢字表記)。


図 現行制服の初期のYシャツの松坂屋製タグ。最新は、三越・伊勢丹の伊勢丹製「ISETAN」。ちなみに、ANAは、Peachなどグループ会社で多くのパイロットが在籍するので、Yシャツは、必ずしもISETAN製でなく、パイロットハウス製などのYシャツも許容されているらしい。羊屋、松坂屋、高島屋、伊勢丹、東急、オンワード、サンリット産業はすべて別の独立した企業。民間パイロットが少なく、高給取りだった時代は、高級百貨店でオーダーメードであり、時代とともに庶民の乗り物になると制服もコストダウンのためにベトナム製既製服になりつつある。





ネクタイ(うすい縞模様が入っている。松坂屋製 CRAVATのロゴも昔に比べてすっきりしている。)



ネクタイ(現行 うすい縞模様が入っている。伊勢丹製。JALのネクタイは伝統的に無地の黒であるのに対してANAはうすい縞模様が入っているようである。)


3.日本エアシステム、JAS>






1981年 TDAパイロット(黒色の制服とラベルは東急製。東急製ジャケットには、TDA時代から内側にヒモがついている。)


1982年 TDAパイロット(明るいグレー色の制服)1982年に制服が大きくリニューアルされたようである。TDAがエアバスA300を導入し、虹色塗装になった際に制服もリニューアルされたと想像する。


制服(1982年~おそらくJALに統合(2002年)される晩年のもの)。日本エアシステムは、会社設立の経緯から東急グループと関わりが深いので、この制服も東急製。この制服には、ダブルボタン・ジャケット用のヒモがついているのが、他の大手航空会社とは異なる。



Yシャツ>ラベルは「TOKYU selected shirts」と明記。


               胸章と機長用肩章



日本国内航空の胸章>日本国内航空は、東亜国内航空(=日本エアシステム)の前身企業の一つ。東亜航空と日本国内航空が合併して東亜国内航空になった。

4.パーサー、スチュワード>

日本航空、JAL>



制帽(初代? オンワード製。 空港での機体出発作業現場のマネージャー用(ランプ・コーディネータ)の可能性もあり。)帽子内側が茶色ならば相当古いタイプ。

初代制服(明らかに灰色 1954年、6つボタン)

制服(1954年とされる。6つボタン。明らかに黒く変化している理由は不明。灰色時代は短かった?)





2代目?制服(6つボタン)

珍しいデザインのヒツジ屋ロゴ(羊屋の初代ロゴを整理した印象、御茶ノ水、東京時代)



3代目?制服(4つボタン)


肩章、胸章(1950-80年台、黒生地ベースなので、黒い制服時代か。)

胸章(1970年頃)

制服(2003年頃 銀色の胸章、袖は銀色3本線だが、真ん中の線が細い。)


肩章と胸章(2003年頃)


現行制服(2022年)



全日空、ANA>



ANA初代パーサー用?胸バッジ>胸章のデザインはパイロット用であるが、翼部分が銀色なので、おそらくパーサー用の胸章。


5.フライトエンジニア>

日本航空、JAL>日本航空のフライトエンジニア用の肩章、袖には3本の金色ライン全部に赤色が混じっている。

制服(JapanAirlinesとなっているので、1980-2000年頃のものだろう。)


肩章
フライト・エンジニヤ用の手袋は黒色(機器整備で汚れるから?ちなみにパイロット用は基本、白色。これは手による合図が遠くからでもはっきり見えるように、電車の駅員さんも白手袋しているのも同じ理由。)


全日空、ANA>全日空のフライト・エンジニヤ用の肩章、袖には、赤い筋が入った金色ラインが1本だけ入っているのが特徴。


制服は松坂屋製。全日空ではフライトエンジニヤ職はなくなったが、帽章や胸章から見ると現行品。西暦2000年以前ごろの制服。


フライトエンジニア用は、つば部分が布で覆われていた。


6.教官、その他>

日本航空>黒地制服で銀色4つボタン、袖線は1-2本。制帽は、黒地でアゴ紐は白色。つばに模様なし。テレビドラマ「スチュワーデス物語」、「アテンションプリーズ」にパイロットのような制服で出ているのが教官。



テレビドラマ「アテンションプリーズ」(1970年)時の教官の制服。

テレビドラマ「スチュワーデス物語」(1983)時の教官の制服。
アテンションプリーズ時代と比べると制帽の「帽章とヒモの間隔」が異なる。帽子内側の革が茶色ならば古い時代の帽子。

1981年の資料によると、どういう職種か不明(JALの空港男性職員?)であるが、赤紫色の制帽、制服の人もいた。以下の写真。著名デザイナーの森英恵(ハナエ・モリ)がJALの制服をデザインしていた時代(1967-1988)があり、赤紫は森英恵が好んで使用した色であったので関係があると思われる。トランシーバーを持っている人は、ランプ・コーディネータという役職の人で、明灰色の制帽を被っていた。蝶ネクタイの人は国際線ファーストクラスのパーサーか、スチュワードだと思われる。


              1981年の時刻表


以上。



旅客機版【エアバス機関係】

 ここに記述した情報は、素人がフライト・シミュレータで遊ぶために調べて記したメモであり、本物のデータとは異なります。個人の興味で調べまくった成果なので、消さない事。昔はボーイング機が主流でしたが、現代では世界中の大型旅客機の約40%がエアバス機。日本のLCCエアライン(ジェットスター、ピーチ、スターフライヤー)の主力機、JALのメイン機(A350XWB)、及びマイクロソフト・フライトシミュレータ2020も、メインはエアバス機。

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目次>--------------

1 個人メモ

2 エアバスA320の標準的速度、高度

3 エアバスA320の安全システム

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1 個人メモ> 


スピード100ノット=時速185km。

元々、ノットは、1時間に1海里(=1マイル)進む時の速度。

高度1000フィート=約305m。=東京タワーぐらいの高さ。

スカイツリーは約2000フィート。

1万フィート=約3km。

1マイル(海里(カイリ、nautical mile)、マイル, nm)=約1.852km。 

100ポンド=45.3kg、1ガロン=3.78L

Jet燃料 A-1の比重~0.84 水1L=1kg


 SIDによると羽田空港では離陸後500フィートで方向転換、250ノット以下で最低巡行高度1万フィートでトランジションルートに向かう。


 日本で一番高い富士山は高度1万2400フィート、富士山を超える場合は余裕を見て1万5000フィート(フライトレベル150, FL150)以上で飛行すること。ただし、過去の事故の経験から、実際には旅客機は富士山付近は飛行しない。

乗客に苦痛を与えないように降下率は毎分300フィート以下。

日本では北に向かって左側に見える天気が、これから天気の状態。

飛行機雲がはっきり見えると翌日はくもりか雨。高空にそれだけ水分があるということ。

綿菓子のような積雲(ひつじ雲)の高度は6500フィート、約2000m。


〇朝、夕方に東京ー北海道を飛ぶと、南北方向のフライトなので、飛行中、客席は、ずっと朝日か夕日にさらされる。

〇東京ー福岡は、東西の飛行で、上空の風は西から東に流れているので、福岡→東京は追い風で予定時刻よりも早く着き、逆は向かい風で、時間がかかる。昼間は客席はずっと南側だが、南方面は太陽高度が高いので、太陽光線(特に赤外線)が客席を直撃することは少ない。

<低気圧だと雨が降る理屈>

低気圧がそのまま雨を降らすのではありません。

低気圧の中や、そのまわりでは雲が発生しやすくなっていて、雲が発生すると雨を降らせるのです。

低気圧には、まわり(高気圧領域)から空気が集まる特ちょうがあります。空気には暖かい空気も冷たい空気もあるので、

性質のちがうこれらの空気がぶつかって、雲が発生しやすくなるのです。だから、低気圧が近づくと雨が降りやすくなるのです。


2 エアバスA320の平均速度、高度 >

 ECAMディスプレーに表示される青文字は警告なので、表示された機能について(例えばパーキングブレーキOFFとか)指示された操作をして青文字が消えるように操作する。ECAMに何も文字が表示されてない状態がノーマル運行状態。

最大離陸重量73.5トン仕様では、機内燃料容量は、2.38万L(=20t,灯油入れ1322個、ドラム缶119本、ガソリン輸送用タンクローリー容量が3万Lなので、8割程度の量)で航続距離2600マイル(4815km)。 A320ではないですが、ボーイング777は、東京-大阪(約500km)のフライトで燃料を2万L使用するそうなので、地上距離1Km進むのにジェット燃料を40L(25m/L)使用するようです。ジェット燃料がいくらか不明ですが、1L=50円と仮定すると、片道100万円の燃料代になります。


離陸フェーズ>


〇タキシング

 駐機場から滑走路までタキシングするような、低速で大きく旋回する際は、チラーという小さなハンドルを回してステアリングする。また、離陸中、滑走路の中心線を外れないようにする際はラダーペダルを踏んで、ステアリングして微調整する。A320のマニュアルには、チラーは速度20ノットまでは±75度まで稼働し、80ノット(離陸開始直後のスピード)では、自動的に0度に固定される。一方、ラダーペダルは40ノットまで±6度で作動し、130ノット(V1速度直前)で、自動的に0度に固定される仕組み。ボーイング777やエアバスA380などでは、地上旋回半径を小さくするために、メイン着陸ギヤの一部も回転するメカニズムがあり、これらはコンピュータで動きが制御され、A320のような小型機と同じ操作方法でステアリングしている。

○日本では、1万4千フィート以下では、空港から提供される海面気圧値をセットし(QNHセッティングと呼ぶ。)、1万4千フィート以上は高度計をスタンダード気圧(1013.2hPa, 29.92inHgを高度0mとする設定合、QNEセッティングと呼ぶ。)に変更(洋上は別)。

QNH>平均海面上10フィートの時、正しく高度を示すように補正した数値。

○V1(安全に離陸を中止可能な速度):130ノット, 

 Vr(機首起こし開始速度、rはrotation):135, 

 V2(離陸中に片方のエンジンが停止しても上昇を続けるべき速度):140ノット at Flap 1. 離陸後に問題が起きれば、空港周辺を旋回して、空港に戻る。

V1速度を超えたら、スラストレバーから手を放す。V1速度前で問題が起きたら、スラストレバーを戻して、離陸中止。

上昇時160ノット(300km/h). 最高速度350ノット(大気速度、対地速度は気流の状態によって異なる。日本では低空域では航空管制の観点で、各飛行機のスピードが異なると危険なので最高200ノットに規制されている。

○旋回開始高度は、旋回中の高度低下を考慮して500フィート以上。

1000フィート以上でAP(オートパイロット)オン。

3000フィート以上でフラップup。最高高度3万9千フィート。

〇ジェット機はラダーは基本使用しない。離陸中に方向転換する時のラダー(フッドペダル)は、右に行きたい時は右ペダルを踏むこと。


巡行フェーズ>

○ジェット旅客機では上昇(クライム、Clime)スピードは毎分2000フィート、下降(ディセンド、Decend)スピードは毎分1000フィートが標準的。乗客に苦痛を与えないように降下率は毎分300フィート以下。

○1万4000フィート以上は高度計をスタンダード気圧(1013.2hPa, 29.92inHgを高度0mとする設定合、QNEセッティング)に変更(洋上は別)。1万2000フィートよりも上ではフライトレベルで表現し、1万4000フィートはFL140と表現し、FL120とは表現しない。

○日本では1万フィート以下では、250ノットまでの速度制限がある。

高度1万フィート以上で気流が安定したらベルトサイン・オフ。

 国内線の巡行高度は2万4千フィートが多い(巡航では、1万5000フィート以上で飛ぶと富士山に衝突しない。)とされるが、状況に応じて1万や3万8千フィートで飛行する時もある。国際線は約3万フィート。コンコルドは常にマッハ2で飛行していたので5万フィートを飛行していた。

〇サイド・スティックでオートパイロットを切る時は、赤いボタンを押すこと。

〇フラップ・レバーはレバー下の「ノッチ」を引き上げつつ動かす。


着陸フェーズ>

○Vref ( refference,着陸基準速度 ):150ノット(270km/h)。

失速ギリギリ速度110ノット(約200km/h)

地上走行中でも30ノット(時速約50km)は出ている。

 〇標準的な3度の降下フライト・パスでスムースに着陸するには、滑走路からの距離(nm)x3の高度にすること。例えば空港の10nm(マイル)前ならば高度を3000フィートに下げておくこと。

〇2000フィートまでにアプローチスピード(Vref(着陸基準速度)150ノット)まで減速。

〇1000フィートでギヤ・ダウン。

〇滑走路上のAim point(白い大きな四角なので、あだ名はお餅)目指して降下し、タッチダウン・ポイントにメイン・ギアを接地させるつもりで。

〇よほどの悪条件以外は、パイロットの技量維持&突然の横風に備えて、400フィートぐらいからパイロットはマニュアルで操縦する。着陸直前に、コクピットから「プルッ、プルッ、プルッ」という音が聞こえたら、パイロットがオートパイロットを切った時の警告音。パイロットは、サイドスティックの赤いボタンを押してオートパイロットを解除してマニュアルにする。

着陸直前になると人工音声で「リタード、リタード!(リタードは収納とか引き戻すという意味)」と言われる(=リタードと言われるまでは、エンジンは自動推力で操縦しているので、スラスト・レバーは触らない事。自動推力設定のままでは、コンピュータが設定された一定の速度を保とうとするので、スラストレバーを引き戻すことによって、自動推力設定が解除されたモードになる。)ので、操縦かんを軽く引いて機体を水平にしてスラスト・レバーをアイドルに戻して、確実に地上に接地した後に、スラスト・レバー前にある「ノッチ」を引っ張り上げて、逆推進(リバース)位置まで、スラスト・レバーを動かす。安全のために逆推進装置は、地上にいる時しか起動しない仕組みになっている。スラスト・レバーは、飛行中はクライム(CL)位置に固定しておくのが基本で、離陸時と着陸直前以外は触らないのが基本。マニュアルで動かしたい時には、スラスト・レバー横の赤いボタン(機能停止ボタン)を押しながら操作するが、通常の飛行では、まず触ることはない

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3.○A320のフライ・バイ・ワイヤ・システム(安全システム)


 A320は、1987年(34年前!)に初飛行し、A320ファミリーを累計すると、おそらく1万機は製造されている。この機体には、コンコルドで採用されたフライ・バイ・ワイヤ・システム(Fly by wire, 電気ケーブルによる飛行)が装備されており、パイロットが故意に危険操作をしても飛行機にプログラムされている運用限界(フライト・エンベロープ(=飛行包囲線、迎え角、速度、高度の飛行領域))以上の運動は「飛行機が無視して安全な範囲内にとどめる」設計になっている。

< ストール(失速)防止機能 >

 例えば、パイロットがサイド・スティックを思い切り、機首下げ方向に押し込んでも、安全保護機能が動作して、機体空中分解速度にならないようになっている。

 さらに、「アルファ・フロア(失速しそうな状況になると自動的にエンジン推力が増加して強力に上昇し、失速姿勢を防止する機能。アルファは迎え角という意味。)」と呼ぶ失速(ストール)防止システムがあって、失速を予防する保護プログラムが作動するようになっている。例えば、巡行時などフラップを収納した状態では迎え角が13度を超えた時、フラップを出している時は一定の迎え角を超えた時に、アルファ・フロアが作動し、ある一定以上の迎え角(最大の迎え角= アルファ・マックス)以上にならない(=アルファ・マックスの迎え角度を維持して飛行を続ける。)ようになっている。

< 過剰ロール防止機能 >

 オートパイロット飛行中は33度以上に横に傾くことはなく、パイロットが、サイド・スティックを横方向に思い切り押し込んでも、機体は最大で67度以上は傾かず、サイド・スティックを離すと、傾きは自動で33度に戻り、そのまま33度の傾きを維持してまっすぐ飛行を続ける設計になっている。急旋回などで必用に応じて33度以上を保持するには、こまめにサイド・スティックを操作する必要がある。

< 重力加速度1G 維持機能 >

 重力加速度が常に1Gになるように飛行する(最大で+2.5G、-1Gを超えることは飛行機が許さない設計)のも特徴で、これは上下方向にほとんど揺れないという状態を作り出して乗り心地の良さに貢献している。実際には高度5000~1万フィートあたりの雲発生領域では、少し横揺れはあるが、不快原因である縦揺れはほとんど感じない。


< サイド・スティック >

 パイロットは離陸・着陸時以外で用事が無い時は、オートパイロットにすると、サイド・スティックは固まった状態になる。オートパイロットを切りたい時は、サイド・スティックの赤いボタンを押す。急な場合には、強い力(3-5kgの負荷)で動かすととガチャンという音とともに自動的にオートパイロットが切れて(「プルッ、プルッ、プルッ」という警告音がなる)、サイド・スティックが柔らかく動くようになる。飛行中はフライト・コントロール・ユニット(FCU)上のつまみを回して飛行条件(スピード、方向、高度)を変えたり、つまみを引っ張ったり(状況に応じてパイロットが設定した条件での自動飛行、画面表示は「数字」)、押し込む(フライトプランで最初に設定済の条件での自動飛行で画面表示は「---」)操作ぐらいの操作をしながら、基本はオートパイロット機能で事前の飛行プラン通りに飛行している。

 エアバス機のサイド・スティックは、オートパイロット中は操作しないのが基本で、ハンドマイク機能も兼ねているので、管制との通信時にサイドスティックのトリガーボタンを押して通信する。マニュアル操縦時には柔らかくて操作が可能であり手を離すとスティックは中立位置に戻るが、機体の傾きなどの飛行姿勢はそのまま保持される。つまり、目的のバンク角、迎え角になるまでスティックを操作する(実際には、パソコン・キーボードのカーソル・ボタン(←、→、↑、↓)と同じような操作をサイド・スティックで行っている。)と、その角度で機体の姿勢がずっと保持されるようになっている。一方、オートパイロット設定時には、サイド・スティックは固まって容易に動かなくなる。しかし、非常時にパイロットが力ずく(3-5kgの負荷)で動かそうとすると「ガチャン」という音がして、柔らかい感じが戻り、オートパイロットが外れた事をパイロットが明らかに認識できるようになっている。しかしながら、オートパイロットが外れても、アルファ・マックスやアルファ・フロアといった安全保護機能が解除されるわけではなく、失速を防止して機体を危険な状態にさせないようになっている。ただし、近年のエアバス機は、最悪時には一定の操作(飛行制御プログラムをノーマルから、オルタネートやダイレクトモードに切り替える)をすると一部の保護機能が外れる仕様になっている。

 サイド・スティックは、機長と副操縦士で別々に動かすことが可能で、両方の操作量の合成情報が機体にインプットされるので、通常は、片方の人間がコントロールするようにしていて、パイロットの目の前にある「サイド・スティック優先」ボタンで、優先性を取得可能。例えば、副操縦士が、機長の意に反して別方向に動かす場合はサイド・スティック上の赤いボタンを押しながら(これによって片方の入力信号を遮断する)操作すると、機長の操作が優先される。

 よって、パイロットがコクピットに2人いるならば「意図的に墜落させることが出来ない」ぐらいの設計になっている。しかしながら、過去に実際にA320を故意に墜落させたパイロット(ジャーマン・ウイングス9525便事件)が存在するのも事実であり、これは意図的に機長をコクピットから閉め出して一人状態を作り出し、計画的に墜落に至る状況を作り出した。そういう意味では、現代はパイロットの精神状態の管理が重要な時代ともいえる。

 フライ・バイ・ワイヤのプログラムは、同時に故障しない&不具合が起きないように、2つの独立したグループが設計したシステム(それぞれ独立で設計された3系統と2系統の合計5系統で同じプログラムのバグが出ないように独立した5つの会社でプログラムを作成している)を飛行中に挙動をクロスチェックしながら動いている。パイロットの操作信号は2種類のコンピュータを経由したあとに、舵面のアクチュエータに送られる。

 フラップやレバーは、飛行中の誤動作を防ぐために、機械的ノッチやつまみを同時に動かさないと動かないようになっており、さらに作動に際しては、速度などの観点でコンピュータが安全保護機能で見張っている。また、安全第一の旅客機においては、コクピットは二人体制が基本で、機長の指示(例えば、フラップ・アップ!)に従って副操縦士が指示を復唱(フラップ・アップ!)してから、フラップなどを操作するようになっている。

 エアバス社はフランスの本社に、世界からパイロットを受け入れてエアバス機操縦の訓練を行う、フライトシミュレータ・センターがあり、A320以降のエアバス機については、「飛行機が失速状態になりえない」プロテクション機能が標準なので、フライトシミュレータによる訓練でも、「失速はありえないので失速状態の手前までの操作しか体験させる必要がない」という状態になっている。また、実際の飛行機では行わないが、訓練に来たパイロットに最初にシミュレータ上で前述のような乱暴な操作をさせて、飛行機の強力な安全保護機能を体験させる。

 ちなみに、サイド・スティックは、コンコルドの実験機で使用していた時代からの流れであり、コンコルドの実験機では右側サイド(副操縦士側)にサイド・スティックを設置して実験していた。サイド・スティックの飛行機としてはF-16が有名だが、F-16は空中機動性を最優先させた戦闘機なので、何もしなければ不安定(=機動性抜群)で、まともに飛ぶことは出来ず、フライ・バイ・ワイヤでコンピュータ制御することによって、安定して飛行するようになっている。

 エアバス社のフライ・バイ・ワイヤの仕組みは、講談社「エアバスの真実」、イカロス出版「インテリジェント・ジェット エアバスA320」に詳しい。また、「alpha protection airbus」で動画検索すると動作状況を見ることが可能であり、パソコン上でリアルに体験したい人には、「マイクロソフト フライトシミュレータ2020」で、エアバス社公認ソフト「FenixSim A320」をインストールすると楽しめるが、本物と同じ操作をしないと、まともに飛ばす事も出来ないので、エアバス機の操作に慣れた人から教えてもらう必要がある。ちなみに、「マイクロソフト・フライトシミュレータ2020」には標準でエアバスA320NEOで入っているが、これは簡素化されたフライ・バイ・ワイヤとなっており、本物のエアバスの操作マニュアルとは全然、異なる。本物を飛ばした経験はないが、エアバス社公認ソフトで遊んでいる感じとしては、A320以降のエアバス機は、旅客機というよりも「飛行機型ロボットにフライトプランを入力し、随時、パイロットが管制官と相談しながら、飛行機に行き先を指示しながら飛ばしているという感覚」で、パイロットは、安全運航しているか監視しているという感じ。A320の開発時のコンセプトとしては、A320は駅馬車であり、馬は自分で危険を判断するので、騎手は手綱で右に行けとか左に行けと支持を出すような感じを想定していた。また、操縦系統については、巨大な実物大ラジコンの中で、人間がラジコン操作するイメージだった。

 フライ・バイ・ワイヤはソフトウェア技術なので、機体の大きさがまったく異なるA380でもA320と同じような操縦方法、飛行特性を再現することが可能であり、A320の操縦が可能なパイロットはスムースにA350、 A380などに移行出来るようになっており、航空会社としては機種移行訓練費用の節約につながるという利点がある。

< 飛行機の縄張り機能、衝突回避機能 TCAS >

A320のマニュアルでは、機体周囲100マイル、下方向約1万フィート、上方向約1万フィートの空間に、トランスポンダ搭載の航空機が侵入した場合、パイロットに「連絡、警告、回避」が出るようになっている。


< 地上物接近警告機能 GPWS >

 速度と高度の関係から、このままでは地上、山に接触する可能性がある時や、フラップや車輪の出し忘れ状態を判断して警告する機能。


< テイル・ストライク防止機能 >

< エンジン・リバース機能 >

 大型ジェット旅客機は、着陸直後に、推進力方向を変化(リバース。昔は逆噴射と一般人は呼んでいた)させて、車輪ブレーキによる滑走路の停止距離を短くしているが、現代の旅客機は、安全のため確実に車輪が接地しないと作動しない。昔の旅客機であるDC-8は飛行中もリバース作動可能であったが、羽田沖で機長が故意にリバース作動させて墜落させた事件以降、「確実に着陸した状態」でのみ作動するようになった。B747は、4つのエンジンでリバース作動するが、A380は、着陸時のリバース不作動による滑走路からのはみ出し防止のため、内側2つのエンジンしかリバースは作動しない。


図> 積雪滑走路で着陸時にリバースするB747。噴射気流によってエンジン手前の雪が舞い上がっているのが見える。

個人便利メモ

個人便利メモ

やりたい事リスト>てつのくじら館、本物のスペースシャトル見学したい。イギリス、ドイツ、中東行きたい、ピラミッドまた行きたい。ツタンカーメン王に挨拶しておく。

〇現役時代月収83万円の人でも、年金は最大で月21万円程度。

〇日本では、75才で25%、80才では50%が天国行ってるのが事実。80才過ぎると動けず、お金の意味も分からなくなる。その時、何億円持っていても、家族が喜ぶだけ。何のための資産なのか。動けるうちに、やりたい事をやっておこう。

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セントレアから<ピーチ>→ 札幌、沖縄、仙台、石垣島、台北

<ジェットスター>→ 福岡、マニラ、シンガポール

<ANA>長崎、熊本、鹿児島、松山、秋田、宮崎、宮古島、秋田

<エアドウ>函館

<IBEX>大分

<FDA>高知

関空<ピーチ>釧路女満別、仙台、新潟、長崎、宮崎、鹿児島、奄美、石垣、

ソウル、タイペイ、高雄、香港、上海、バンコク

ピーチ>チケットガード(自己都合キャンセル時の保険)

ジェットスター>バウチャー払い戻しオプション(自己都合キャンセル時)

セントレア・ターミナルは一部は24時間開放されており夜を過ごせる。

東京駅→成田空港(片道1200円、約2時間)

東京駅→羽田空港(片道660円、約1時間)

名古屋駅→セントレア(片道900円、約1時間)

新大阪→関西空港(片道1160円、約2時間)

名古屋駅(新幹線)→関西空港(片道7160円~2.5時間)

近鉄名古屋→関西空港(片道6440円~約3時間)

阪急梅田、新大阪→大阪空港(片道440~600円、約1時間)

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秘密のメモ>小型成長株投資。時価総額100億円以上の企業であること。PBRが1以下の小型株で、出来れば100円台の株価。ストップ高の銘柄を記録しておき、時機を見て購入。業績をチェックし、黒字転換や、営業利益が右肩上がり、経常利益が増えている事が重要。コロナ過明けのインバウンド需要など世の中の大きな流れで株価が上昇する明確な理由が説明できること。不動産、バイオテクノロジー、新技術、大企業などは×。3銘柄などに分散。ある程度の資産規模になったらクロネコオンリーにシフトすること。一つの収入にぶら下がるのは非常に危険、3-4本の収入源の確保。貯金は、今後のインフレでどんどん価値が減少する。投資を怖がらない、小さな冒険、大きなリターン。頭使ってボケ防止。趣味と実益の実現

○世界第3位の大富豪 投資の神様 ウォーレン・バフェット氏のつつましい生活。

 庶民出身で、正攻法の株式投資で世界トップクラスの大富豪(総資産は、マイクロソフトのビル・ゲイツと同等クラス)になった生きる伝説。好物はマクドナルド、コカコーラで、コーラは一日5本(約2リットル)飲み、常にコーラを切らさないように自分の車(2006年式のキャディラック)で12本入りの箱を50箱買いに行く。

 彼の経営するバークシャー・ハサウェイ社はお菓子会社から電力会社まで76の企業を所有していて毎月10億ドル(日本でいうと2000億円ぐらいの感覚)の純利益が出ており、コカコーラ、IBM、P&Gの大株主でもある。

 生まれ故郷のアメリカ内陸部のオマハ(人口40万人)に住み、50年以上前に3万ドル(日本の感覚でいうと2000万円ぐらい)で買った家に今も住んでいる。世界最大の投資持ち株会社の株主かつ会長で会社から年に15万ドル(同 2000万円ぐらい)の給料をもらって、ウクレレを弾きながら、つつましい暮らしをしているという。

 仕事場はベッドルームの横の書斎で一日中パジャマ姿で働き、必要な時にのみ出張し、スーツを着る。株価は必要な時だけ見る程度で、一日中、趣味として経済新聞や企業情報誌を読んでいるという。

最近は年のせいで(81才)プライベートジェット( 機体は小型旅客機、名前は「弁解不能号」、これは昔、プライベートジェットなんて無駄と発言していたから。)を使って移動し、この費用は年間2億円に達するという。

 毎年、彼と「一緒に昼食する権利」がオークションにかけられており(最近の相場は1億円)、代金はチャリティーとして寄付されている。

 バフェットの才能を高く買っている投資家からは、「バフェット氏の食生活が最大の投資リスク」と言われている。子供に資産を残すのは良くないとして資産の99%を(日本の感覚でいうと約8兆円)をマイクロソフトのビル&メリンダ財団を通じて慈善団体に寄付することを発表している。

 大富豪になっても、金融の中心であるニューヨークには住まず、証券会社の誘い、提案をうのみにせず、独自の投資哲学によって資産100万円を約50年かけて4兆円(日本の感覚でいうと9兆円)に増やした。

 彼の自伝本「スノーボール(雪だるま))」によると、「金持ちになるには、小さな雪球(投資のタネ銭)と長い坂(ゲレンデ)があればよい」との事で、具体的に彼の投資法は、株価が上がる下がるではなくて、株は会社を分割して買っているとの認識であり、銀行金利のように所有していることで年に何%の配当がが入るかが重要で、株価が安い時に倒産しては社会的に困る企業を集中して買い、配当を得ながら、株価が異常に高くなったら、売却して売却益を得て、これの繰り返しをすることによって加速度的に資産を増やした。

 彼の名言に「客に株価のアドバイスをする証券会社の社員は、なぜ全員金持ちではないのか?そもそも株価が予想できるなら証券会社で働く必要もない」というのがある。

 大富豪になると、もはや「○○社 会長といった肩書き」は必要なく、名刺には名前が書いてあるだけである。

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○人間がこの世に存在するのは、金持ちになるためでなく、

 幸福になるためである。 by スタンダール

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○この世で私がすべきことは何だろう。

 私が生きているうちに何をするべきなのだろう。 

  by 映画「不都合な真実」

世界の選び抜いた名言・格言

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