1 アポロ計画における印象的写真集
1-1 ●アポロ8号>人類史上はじめて月に行って、月の裏側を目で見て、地球に帰還した三人(右から ジム・ラベル飛行士、ビル・アンダース飛行士、フランク・ボーマン船長)
アポロ8号では、人類史上はじめて地球の周回軌道を離れて月まで行って月の周回軌道を回って、その後、地球に帰還した。この時期は、宇宙船にカミソリなどは装備していなかったので、6日間の飛行中、ヒゲをそらないと写真のようにヒゲ面になる。ボーマン船長だけは、過去の失敗(ヒゲ面で会見したこと)に懲りて、事前に回収ヘリコプターに電気カミソリを準備していたので、すっきりとした顔をしている。
写真ではわからないが、男三人が、狭い宇宙船中で食事し、トイレして、ふろにも入らず、宇宙は真空なので換気も出来ない状態で過ごすと強烈に臭いそう。
1-1-1 ●アポロ9号> 打ち上げ前の準備をするデーブ・スコット飛行士(後のアポロ15号で船長を務め、月面で初めて電動車でドライブした人となる)
アポロ9号では、月面着陸に備えて、地球軌道上で指令船と着陸船の切り離しとドッキングがうまく出来るかを10日間かかってテストした。また、スワイカートとスコット飛行士が月面用の船外活動服と生命維持装置を着用して船外活動を行い、月面で使用可能であることを確認した。
月着陸船の愛称はスパイダー(クモ)、月司令船の愛称はガムドロップ(お菓子のガム)。ジェームズ・マクディヴィット船長、デビット・スコット司令船パイロット、ラッセル・スワイカート月着陸船パイロット。写真をよく見ると、バブルヘルメットが二重になっているのが分かるが、これは打ち上げ前にバブルヘルメットを傷つけないように、保護カバーをつけているためであり、この保護カバーは初期型で、アポロ11号あたりの時期以降は、後ろの黒いラインが、下の写真のような「とぎれとぎれ」ではなく、直線型になる。
1-1-2 ●アポロ9号> 打ち上げ前の準備をするジム・マクディビット船長
1-2 ●アポロ10号>月へ向けて出発時の様子(船外活動服から判断して、右からトーマス・スタッフォード船長、ジョン・ヤング司令船パイロット、ジーン・サーナン月着陸船パイロット)
アポロ10号では、月面着陸寸前まで行って着陸地点が本当に安全であるか、月面着陸以外の作業を行い本当に地球に帰還できるかの検証を行った。写真中の女性( Jayme Flowers, Gordon Cooper(ゴードン・クーパー)氏の秘書、ゴードン・クーパーはアポロ10号の船長バックアップ 要員だった。)が、スヌーピーのぬいぐるみを持っているのは、月着陸船の愛称がスヌーピー、月司令船の愛称がチャーリー・ブラウン(スヌーピーの飼い主)だったから。
アポロ10号までは、宇宙飛行士らが、スヌーピーやチャーリー・ブラウンといったお気軽な愛称を宇宙船につけていたが、人類初の月面着陸をするアポロ11号以降は、真面目な愛称をつけるようにNASA当局から指導された。
このシーンの直後、スタッフォード船長は、冗談で、この女性も一緒に月に行こうとハグして連れていくフリをした。船長が手にしているのは、地球上で、密閉された宇宙服内に酸素を送る&CO2を回収する装置で、上のホースから酸素が供給され下のホースからCO2入りの酸素が出ていく仕組み。出発前には2時間かけて体内の窒素を抜いているので、おそらく純酸素のみが供給されている。
船長の体前面の右側にホースが接続されていないのは、月面で同僚の宇宙飛行士が酸素不足などになった時に酸素を共有するためのコネクタであり、写真三番目のサーナン飛行士の船外活動服には、船長とは反対側の体の右側に酸素供給用のホース類が接続されているのが見える。
つまり、サーナン飛行士は体の左側のコネクタで非常時の酸素を共有する仕組みになっていた。アポロ計画初期では、徹底して軽量化するために機内搭載のバンドエイドの枚数まで減らしたことがあったという。
1-3 ●アポロ11号(アームストロング船長、オルドリン月着陸船パイロット、コリンズ司令船パイロット)>月面着陸の実際の写真(バズ・オルドリン飛行士)
日本で月面着陸(昭和44年)というと”白黒の乱れたテレビ映像”ぐらいのイメージだが、実際には高解像度のカラー写真が多く残されている。上の写真は、先に上陸したニール・アームストロング船長が、オルドリン飛行士の上陸シーンを撮影したもの。バズ・オルドリン飛行士は、映画「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーのモデルになった人で、月面の足跡、星条旗に向かって敬礼する姿など月面活動の写真のほとんどは、オルドリン飛行士の姿である。これはアームストロング船長がカメラで記録を残すことが任務になっていたからである。
船外活動服を来た宇宙飛行士は、地球上では、重量が160kgぐらいあるが、重力が地球の6分の1になる月面では体重が約27kgになるので、飛行士が下りるハシゴの強度も、軽量化のために月面に合わせてあり、地球上でフル装備の飛行士がハシゴを登ると変形するぐらい華奢に作られている。
船外活動のすべては、事前に地球上で月面着陸後、何時何分何秒に、どこにどういう機器をセットして、どういう行動をする、どういうアングルで、どんな写真を撮る等、すべて何回もシミュレーションしており、スケジュール表にそって実行された。よって、どういう写真がとれるか、どういうTV中継ができるかは、事前にある程度分かっていた。「白黒の乱れたテレビ映像」に関しては、月からNASAへは、高画質な映像が来ていたが、世界の視聴者が見られる形に映像を変換した際に画質が劣化し、さらにそれらの信号が人工衛星やケーブルを通じて世界に配信される途中でさらに画質が劣化したのが原因だった。
アームストロングが月面に立つ時の撮影に使用されたテレビカメラは、ウェスティング・ハウス社製でカメラに当時としては先進的な43個のICを使用し、重量は3kg、必要な電力は7ワットで、サターンロケットの打ち上げ時の強力な加速度にも、宇宙空間の121℃からマイナス156℃にもなる過酷な環境に耐える性能を有していた。
テレビカメラによる中継では、アームストロングがハシゴの最下段から一気に飛び下りるようなシーンがあるが、これは予想以上にスムースに月面に着陸したため、本来は月着陸船の脚部分が着陸時の衝撃で縮むようになっているのに十分に縮まず、結果としてハシゴ部分が本来の位置よりも、かなり高い位置で終るようになっていたからである。事実、他のアポロミッションでハシゴの高さを見ると、設計通りの低い位置から降りられるようになっている。
これらの写真(スチールカメラ)は、ハッセルブラッド社のカメラ(機種は500ELの改造版の500EDC)で撮影し、カメラは胸に固定されていて、直接ファインダーを覗くことが出来ないことから、事前に、地球で、うまく写真を撮る練習をしていた。月で採集した岩石を積み込み、月から離陸するためには、機体をなるべく軽くする必要があったので、アポロ計画ではカメラ本体は月面で廃棄され、フィルムだけ持ち帰った。
ただし、アポロ15号では、ジム・アーウィン飛行士のカメラでフィルムカートリッジが、うまく外れなかったので、このカメラがスチールカメラとしては唯一、地球に持って帰ってきて、このカメラは最近オークションで日本人実業家(ヨドバシカメラ社長)が購入した。ハッセルブラッドのカメラは、もともとは、ウォルター・シラー飛行士が1962年にヒューストンのカメラ屋で購入したハッセルブラッドのカメラを私物として宇宙飛行に持ち込んだことから、NASAとスェーデンのカメラメーカーとの付き合いが始まった。
当初、NASAは、人間が宇宙に出る事が重要で、写真&ビデオは重要視していなかったが、映像がNASAのイメージアップを向上させる効果に気づいて、その後、映像、メディアを重要視するようになった。また、アポロ11号で使用したビデオカメラ( 16mm )は最近、アームストロング船長の遺品から発見されスミソニアン航空宇宙博物館に収められている。
1-4 ●アポロ12号(コンラッド船長、ビーン月着陸船パイロット、ゴードン司令船パイロット)>月着陸船から降りようとしているコンラッド船長
長年の野球帽コレクターで、特注で巨大な青白の野球帽を作製し、船外活動時にヘルメットの上から被って飛び跳ねることを狙っていたが、巨大な野球帽を宇宙船内に秘密に持ち込むことが出来ずに断念した。バックアップ・クルー(デイブ・スコットとジム・アーウィン)のいたずらによって、結果的に人類はじめてヌード写真を月面に持ち込んだ。月面で初めてダンスを踊ったと自称していた。
アポロ11号の月面着陸時に、アームストロングの第一声が、あまりに優等生的であったために、当時、NASAが飛行士の発言を規制しているとの噂が立ち、コンラッドはNASAの規制を受けていない証明として、月面上陸時には「ひゃっほー。これは(大柄な)ニール(・アームストロング)には小さな一歩であるが、(身長160cmの小柄な)自分には大きな飛躍である」と発言した。月面での作業中は、非常にリラックスしており、ほぼ意味不明の鼻歌を歌いながら作業し、この鼻歌は世界に同時中継されていた。
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1-6 ●アポロ12号(コンラッド船長、ビーン月着陸船パイロット、ゴードン司令船パイロット)>アラン・ビーン飛行士
アラン・ビーンは、アポロ11号の次のミッション(アポロ12号)でピート・コンラッド船長とともに人類で第4番目に月面に立った人。NASA引退後は、昔からの趣味と、宇宙経験を活かして、月を描く画家として暮らしている。彼は、月面活動の際、月着陸船の近くのクレーターに宇宙飛行士になるともらえる「NASAの銀色のピンバッジ」を記念として置いてきた。
このピンバッジは宇宙飛行すると「金色のピンバッジ」になるので、銀バッジは、いづれ不要になる。アポロ11号では左手の手袋にメモが記載してあったが、アポロ12号ミッションでは、月面で行うことが多くなったために、左手に冊子を固定するようになっており、上記の写真でも冊子が確認できる。この冊子(コンラッド船長用、ビーン飛行士用、ゴードン飛行士用)には、バックアップ宇宙飛行士のいたずらによって、それぞれ別のカラーヌード写真が仕込まれていた。この写真が見たい人は、グーグル検索で「アポロ12 プレイボーイ」で検索すると見られる。
アポロ12号では、はじめてハンディタイプのカラー・テレビカメラ(ウェスティング・ハウス社製)を持ち込んだが、ビーン飛行士が月面で操作中に、2秒間太陽に向けてしまった(当時、飛行士達は月試料の採集がメインであり、テレビ中継の訓練は受けていなかった)ので故障して使用できなくなり(テレビカメラ自体は、非常に暗い場所でも撮影できる高性能なものだったが、強烈な光を放つ太陽に向けたのが失敗だった。)、ハンマーでカメラを軽く叩いても復活しなかった。
テレビ中継が出来なくなったテレビ局は、再現映像を流したり、あやつり人形でごまかしたが、船外活動時間自体が、一回目はアメリカの早朝、二回目は深夜であったので、テレビ中継には不向きな時間帯であった。結果としてアポロ12号でのテレビ中継の失敗が、アメリカ国民のアポロ計画に対する関心の低下を招いた。ビーン飛行士はコンラッド船長と、とても仲が良く、月面でコンラッドと二人で写真を撮ろうと思い、こっそりセルフタイマーを月面に持ち込んだが、月面ですぐにセルフタイマーを見つけることは出来ずに結局、二人で一緒に写真に納まることは出来なかった。
また、「本来はアラン・ビーンの代わりにアポロ12号でルナモ・ジュールのパイロットを勤めるハズだったが事故で死亡した同僚C.C.ウィリアムズ」の海軍記章を記念に月面に置いてきた。
この写真を撮ったコンラッド船長は、一度は宇宙飛行士選抜試験に落ちたが、二度目の試験で合格し、人類で3番目に月面に立った。しかし、地球に帰還後、1999年にバイク運転中の事故が原因で、この世を去った。享年69才。アラン・ビーンも2018年に86才で亡くなった。
1-7 ●アポロ14号(シェパード船長、ミッチェル月着陸船パイロット、ルーサ司令船パイロット)>アラン・シェパード船長
アラン・シェパード船長は、エドガー・ミッチェル飛行士と月面に降りて、土採取用スコップの先を、持参した6番アイアンと交換して人類で初めて月面でゴルフ&槍なげの一人オリンピックを行った。ゴルフについては、分厚い宇宙服が邪魔で、片腕によるスイングのためにダフり、1回目はあまり飛ばなかった。
2回目は、うまくヒットして遠くまで飛んで行った。シェパードはアメリカ人として初めて宇宙飛行(宇宙船で地球を弾道飛行、ちなみに周回飛行したのはジョン・グレン)をした人物でもある。アポロ11-13号では、船外活動服が船長、飛行士ともに白色で、後の写真分析で飛行士を区別するのが難しかったので、アポロ14号から船長用宇宙服には赤いライン(赤いバンド)がつけられた。当時、フランクリン・ミント社がアラン・シェパードに月に銀貨を持っていってもらい、フランクリン社は持ち帰った銀貨を粒にして、粒を混ぜてミニコインを作製して発売したので、その後、宇宙飛行士の商業化が批判された。
1-8 ●アポロ14号 月面に持っていくカートを地上で訓練するアラン・シェパード船長
1-9 ●アポロ14号 月面の重力になるように設定した飛行機の中で機器の訓練を行うエドガー・ミッチェル飛行士
1-10 ●アポロ14号>活動中のエドガー・ミッチェル飛行士
ミッチェル飛行士は、月への飛行中に地球に向けてテレパシー実験を行った。この時期、米軍で超能力実験を行うのは普通であり、アポロ計画はNASA単独ではなく、国家プロジェクトなので軍も全面協力していた。多くの宇宙飛行士は、宇宙酔いで多くが嘔吐するが、写真のように船外活動中に嘔吐すると、ヘルメット内の非常に狭い空間で嘔吐物が飛び回り、窒息の危険があるので、宇宙酔いの状態では活動させない。
1-11 ●アポロ15号(スコット船長、アーウィン月着陸船パイロット、ウォーデン司令船パイロット)>月面で電動自動車で探検中(デビッド・スコット船長)
スコット船長は、ジェームズ・アーウイン飛行士と月面に降りて、地球時間で3日以上、月に滞在して調査した。この電動自動車は(ルナ・ローバー、組み立て式&後輪ステアリングであり、動きにくい船外活動服を着ていては座席に座るのにも一苦労)、使用後は月面に残してきた。 長時間の月面活動では、危険な太陽風による放射線の被爆の可能性、道に迷って酸素や服冷却用バッテリーの消耗の危険性がある。
月面に磁場はほとんどないので、磁気コンパスは使用できず、アポロ15号以降では、日時計に似た太陽コンパスを開発して腕に設置していた。ルナ・ローバーの開発にあたっては、無重力体験ジェット機内に、模型を設置して、月面と同じ6分の1重力状態になったわずかな時間(15-20秒)を利用して、実際のルナ・ローバーの操作状況をテストした。腕に赤いラインがある&左側に座っているので、乗っているのはスコット船長、写真を撮ったのはアーウィン飛行士ということが分かる。
電動車は船長が運転するのが基本で、月面では、風化させる水、大気もないので、この電動車は、紫外線、熱の影響がなければ、何百年後も動くハズだそう。アポロ13号以降は、月面探査は地質調査がメインになっていたので大衆の興味が薄れていた。ミッションにおいては、ルールが細かく設定されており、アポロ15号の頃にはミッションルールは細かい字で500ページぐらいになっていた。アポロ15号以降では、月面での活動時間が飛躍的に増加したが、月着陸船では食べ物を温めるシステムがなかったので、飛行士達は数日間、常温の食料を食べるハメになった。
ルナ・ローバーは最大25度の傾斜も昇降可能で、時速10km程度で着陸船から6マイル(6マイルは故障した際に飛行士が歩いて帰られる距離として設計)の範囲で移動可能であり、月面は重力が6分の1で軽い上、デコボコしているので運転中は常に車輪が1-2個は空中に浮かんだ状態であった。また、太陽方向は、あまりにまぶしくて地形が分かりにくいので運転しずらかったという。月面では、空気も風の動物も植物もないので人間以外に動くものは影ぐらいで、背中の生命維持装置の機械音以外は音もない世界だったという。
地球は大きいのでだいたい20km先に水平線が見えるが、月は小さくて丸いのでせいぜい2.5km先が水平線となる。ルナ・ローバーの前輪の上にあるのが、RCA社製のGCTA(地上操作テレビ・アセンブリ)テレビカメラで、地球のジョンソン宇宙センターのオペレータが直接、カメラの向きやズームを変化できるようになっており、映像は、カメラ上方の直径71cmの金ワイヤメッシュ製の高利得パラボラアンテナを使用して地球に直接信号を送るようになっていた。
1-12 ●アポロ15号>月面に残してきた「宇宙開発で命を落とした宇宙飛行士のリスト」と、手前に人形のモニュメント
スコット船長の発案によって実現した個人的なイベント(NASA当局には知らせていなかった)で、月面到達レースの途中で亡くなったアメリカ、ソ連の14人の宇宙飛行士の名前を記したプレートとベルギーの彫刻家ヘイドンクに作製してもらったアルミ製の人形型のモニュメント「堕ちた宇宙飛行士」を置いてきた。このイベントは月面任務リストには入っておらず、この儀式を行っている途中では管制センターには清掃作業中と伝えていた。
14人は、米国はチャーリー・バセット、ロジャー・チャフィー、テッド・フリーマン、エドワード・ギブンス、ガス・グリソム、エリオット・シー、エド・ホワイト、C.C.ウイリアムズ、ソ連はパーベル・ベリャーエフ、ゲオルギイ・ドブロボルスキイ、ユーリ・ガガーリン、ウラジミール・コマロフ、ビクトル・パトサエフ、ウラジスラブ・ボルコフで、実際には、14人の他にソ連ではバレンチン・ボンダレンコ、グレゴリイ・ネリュボフが亡くなっていたが、1971年当時は、ソ連は宇宙計画については秘密主義だったので、この二人の死は公表されていなかった。
1-13 ●アポロ15号>敬礼するジェームズ・アーウィン飛行士
船外活動服、ヘルメットに赤いラインがついていないので船長ではないという事が分かる。背景に山が写っているが、月面では大気も水もないので、風化作用がなく、地球のように地殻変動もなく、重力のみが支配する世界なので、巨大な山も、のっぺりとした丸くなるそう。
また、月面では、まったくの平坦な場所というのは少なく、アポロ15号では、月着陸船の後部(写真左側)が、少し窪みにかかった形で着陸した。アポロ15号では、初めて電動車を持って行ったので、月着陸船の重量が重く、アポロ11-14号の時に比べて、着陸自体も機体かかる衝撃が大きいという点で困難になっていた。アーウィン(James Irwin)は、NASA退役後に、牧師となって「ノアの箱船探索」を行ない、1991年に3度目の心臓発作で亡くなった。享年61才。
1-14 ●アポロ16号(ヤング船長、デューク月着陸船パイロット、マッティングリー司令船パイロット)>1m近くジャンプしながら敬礼するジョン・ヤング船長
ヤング船長は、月に2回(アポロ10号で月上空周回、16号で上陸)行っており、後にスペース・シャトル初飛行で船長もつとめた。船外活動服&ヘルメットに赤いラインがついているので船長と分かる。月面は、重力が地球の6分の1なので、簡単に高くジャンプできる。
ちなみに、地球の水中では重力は9分の1になるそう。このジャンプは、船外活動中に、スペース・シャトル計画を米議会が承認したとのニュースを聞いて喜んでジャンプした際の場面。このジャンプ場面は、下記の動画の10分40秒あたりで見られる。アポロ16、17号の頃は、月から鮮明な映像でテレビ中継可能な状況であったにも関わらず、メディアを含めたアメリカ国民の関心は低下しており、アメリカ人の多くはこの中継映像を見ることはなかったという。
1-15 ●アポロ16号>月面に残してきた家族の写真
アポロ16号では、チャールズ・デューク飛行士が、家族(妻ドロシー、息子チャールズ&トーマス)の写真を月面に置いてきた。ちなみに一番幼かったトーマス(1967年生まれ、赤いシャツを着た少年)も現在では48才になっている。月面では大気がほとんどないので風も吹かず、砂に覆われたり、写真が劣化しない限り、何万年も、この状態であり続ける。ちなみに、デューク飛行士は、アポロ11号の際の地球側の通信担当を務めた。
デューク飛行士の月面でのはじめての船外活動時には、宇宙服内の飲料である「カリウム成分を強化したオレンジジュース(アポロ15号では食事&過酷な任務のせいでカリウム不足となって飛行士達に不整脈が観察された。)」が不具合でたびたび漏れて、まるでオレンジジュースでシャンプーした状態になった。また、飛行士達は体調維持のためにオレンジジュースを大量に飲むように指示されたので、胃酸過多で、「おなら」に悩まされ、狭い宇宙船内では脱臭機能が追い付かないありさまだった。
1-16 ●アポロ17号(サーナン船長、シュミット月着陸船パイロット、エバンス司令船パイロット)>ユージン・サーナン船長
サーナン船長は、現時点で人類で月に一番最後まで滞在した人で、月に来るのは2回目(アポロ10号で月周回、17号で上陸)。月に2回来た人は、他にジョン・ヤング飛行士(アポロ10号、16号)、ジム・ラベル飛行士(アポロ8号、アポロ13号)しかいない。同僚のシュミット飛行士とともに、月面に75時間滞在し、月面でのべ22時間船外活動を行い、電動車で35km移動し、歴史上、最も月面を広範囲に活動した人物。
月面に娘の名前のイニシャル (トレイシー・サーナン、当時9才、TDC)を落書きしており、月面は風も吹かないので、落書きは半永久に残る。サーナンはローバーで移動する際に誤って右後輪フェンダー(泥除け)にハンマーをぶつけてしまい、月の砂を大量に浴びて、月着陸船に戻る前には15分かけてお互い(サーナン船長とシュミット飛行士)の砂を落とした。
1-17 ●アポロ17号(サーナン船長、シュミット月着陸船パイロット、エバンス司令船パイロット)>ユージン・サーナン船長
1-18 ●アポロ17号>月面を探査するハリソン・シュミット飛行士
月には、このような巨大な石もある。シュミット飛行士は、月面歩行者で唯一の地質学者であり、米軍に所属したことのない純粋な民間人。アポロミッションの後期では、地質探査がメインになり、米国の地質学会からの、「学者に探査させるべきだ」との圧力を受けて、地質学者のシュミット飛行士が誕生した。
宇宙飛行士は、現代でも訓練中、任務中に殉職する確率の高い職業であり、スペース・シャトル時代の初期まで、国のために命をかける軍人出身の宇宙飛行士が活躍した。アポロ17号では月面に75時間にわたって滞在した。
1-19 ●アポロ15号>月面から帰還する際に、アポロ宇宙船内部からから見た月
写真内に、宇宙船の窓枠が写っているので臨場感がある。月を回る速度は、月の重力と遠心力の関係で決定されるので、月を1周するのに約2時間(120分)かかる。一方、圧倒的に巨大な地球では強力な遠心力(=スピードが必要ということ)が必要なので、宇宙ステーションは一周90分で地球を回っている。
1-20 ●アポロ15号>月面から帰還する際に、アポロ宇宙船内部からから見た月
カラー写真なのに白黒写真のように見えるのは月が白黒の世界だから。