アポロ計画の世界を楽しむサイト

アポロ計画の世界を楽しむ

~ "人が他の星に行った"、アポロ8号、10号-17号 ~

 

楠本慶二 著 ( 更新中止、永久掲載 )


写真> 左から日本のH-2Aロケット、米国 サターンVロケット、人間、スペースシャトル(同一スケール)。

写真>アポロ12号で、月面に降りようとしているコーンラッド船長

カラー写真なのに、月面は白黒世界。


 はじめに> アポロ計画、宇宙飛行士の世界(宇宙、NASAの情報を集約。(宇宙関係本 約90冊から選び出した知識の集合体)。 

 詳細なデータの羅列、言葉の解説は他のサイトにまかせるとして、「これらが、いかに精密な機械、システムであるか」、「びっくりポイント、おもしろいポイント」など。複数の所有文献、ネット情報を参考にしています。


目次>----------------------------------------

< アポロ計画、火星探査 >

1.1 月面活動の写真集

1.2 アポロ11号の記録写真集

1.3 アポロ計画時の宇宙服

1.7 人類月面着陸、アポロ計画

1.7.1 アポロミッションのトピック

1.7.2 月に行った人達、月面を歩いた人達

1.8 サターンロケット

1.9 月のトリビア、月の石

2.0 地球のトリビア

2.1 太陽のトリビア

2.2 旧ソ連のロケット情報

2.3 火星探査 、マーズローバー

2.4 宇宙航行法

2.5 惑星探査(パイオニア、ボイジャー、カッシーニ)

< その他 >

2.6 宇宙開発のおおまかな歴史年表

2.7 宇宙飛行士関係

2.8  宇宙飛行士関係

2.9 NASA、JAXA ( NASDA ) 関係

3.0 人類史上はじめて地球から出たガガーリンについて

3.1 その他、未分類 ( 今後のデータの倉庫 )

3.2 国際宇宙ステーション

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 アポロ計画:人類月面着陸 >

 アポロ計画では、今から50年前ぐらいに”旧ソ連に対する技術的優位性を示すための米国の国家優先事項”として、企業2万社、 ピーク時には40万人の労働者、総合すると延べ300万人が10年、当時のお金にして300億ドル(今にすると日本では20兆円ぐらい)で取り組んで巨大ロケット(サターンV)を 20機ぐらい作製し、月への上陸を目指した。

 アメリカは、 ソ連のガガーリンの宇宙初飛行の1ヶ月後に、ソ連に対する技術的優位を示すために、”国家優先事項”として「人類の月面上陸及び安全な帰還」を宣言し、この時点でアメリカは 「人間が5分間、宇宙空間に出ただけ」の経験しかなかった。

 ”人間がはじめて月まで行ったアポロ8号、月に上陸したアポロ11号”まで、月に向けて無人宇宙船を合計33機打ち上げて 、月まで確実に行く方法、月の表面の性状、気候調べ、数万枚の写真をとって月の地図を作成、軟着陸の技術開発、月の砂に着陸船が埋まらないか、等々の経験を積んで事前準備をした。

 人工衛星が地球を回るのに比べると、 「他の惑星に確実に行って帰ってくる」というのは、太陽も、地球も、目的の星も常に動いている(自転、公転、秤動運動(コマの首振り運動)、重力の不均一分布、大気の影響もある)ので、実際は「遊園地のメリーゴーランド上でキャッチボールするような状態」となり、厳密な軌道計算、タイミングが必要とな り、実際には683台の計算機で軌道を計算してから、打ち上げのタイミングを決定していた。




 まずは、マーキュリー計画(一人乗り宇宙船)で地球を回る技術、ジェミニ(双子座、二人乗り宇宙船)計画で2人宇宙飛行する技術、宇宙空間でドッキングする技術を固め、月面に向けてアポロ計画 (3人乗り宇宙船)を実行した。歴史上、これまでに月に行った人は24人、月の上を歩いた人は12人。

 

< アポロ宇宙船:司令船(コマンドモジュール)+機械船(サービスモジュール) >




 アポロ宇宙船は三角錐状のアポロ指令船(コマンド・モジュール)+機械船(サービス・モジュール)を合わせて、アポロ宇宙船と呼び、この他に月着陸船(ルナ・モジュール)がある。全長110mのサターンロケットでも、3人を月まで運ぶアポロ宇宙船の居住スペースは写真の通り。


 司令船の直径は3.9m、キャビンの容積はたったの5.9m3。これは1.8mx1.8mx1.8mの空間に相当する狭さ。アポロ指令船には、必要な装置が詰め込まれており、スイッチだけでも560個程度あるという。実際には、打ち上げ後、月着陸船の中に2人移動し、シートを取り外して、このスペースを一人で使用していた。 一方、地球に帰還時は、月着陸船を月面に廃棄してきたので狭い司令船で3日ほど暮らし、最大で2週間暮らした。機械船に搭載しているロケットは月軌道に入るための減速及び、地球に戻るための月軌道からの脱出のために使用される。


< 月着陸船(ルナ・モジュール、LM) >

 下の写真は月着陸船のコックピットで、月面は重力が地球の6分の1なので、スペースの関係でイスは不要とされ、月面での船内では宇宙飛行士をフックで吊っていた。写真下部のハンドルのついた四角い部分が外部への出入り口で、幅は人間の肩幅より大きいぐらい。このスペースに、かさばる船外活動服を来た2人の宇宙飛行士が滞在していた。ドアは内開きで左側が大きく 開く構造であり、人類初の月面着陸では、狭い空間では船長がパイロットよりも先に出ていかざるを得ないことが判明して、左側が船長席であるアームストロング船長が先に月面に立つことになった。ちなみに、計器盤のスイッチ一つでも1960年代で5000ドルのコストがかかっており、これは現代の日本の感覚でいうと300万円以上になる。 ルナ・モジュールは、米グラマン社で、Tom Kelly ( Thomas Joseph Kelly )が設計をとりまとめたので、彼は”ルナ・モジュールの父”と呼ばれている。 ルナ・モジュールは、大別して2層構造になっており、月面に着陸後は、飛行士達の基地となり、地球に帰還時は上部のみが分離して月軌道に戻ることになり、飛行士が月司令船に移動した後は、月軌道上に廃棄される。


1.1 月面活動の写真集


●アポロ11号の月面着陸の実際の写真(バズ・オルドリン飛行士)


 
日本で月面着陸というと”白黒の乱れたテレビ映像”ぐらいのイメージだが、実際には精密カラー写真が多く残されている。 上の写真は、先に上陸したニール・アームストロング船長が、オルドリン飛行士の啓礼を撮影したもの。バズ・オルドリン飛行士は、映画「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーのモデルになった人で、月面の足跡、星条旗に向かって敬礼する姿など月面活動の写真のほとんどは、オルドリン飛行士の姿である。 船外活動のすべては、事前に地球上で月面着陸後、何時何分何秒に、どこにどういう機器をセットして、どういう行動をする、どういうアングルで、どんな写真を撮る等、すべて何回もシミュレーションしており、スケジュールにそって実行された。よって、どういう写真がとれるか、どういうTV中継ができるかは、事前にある程度分かっていた。

 写真は、ハッセルブラッド社のカメラ(機種は500ELの改造版の500EDC(HEDC(ハッセルブラッド 電子データカメラ)で、Zeiss Biogon 5.6/60 mm レンズが埋め込まれたReseau-plate(十字マークのついたガラス板)付き、十字線は写真内の距離や高さを計算するために使用))で撮影し、カメラは胸に固定されており、ファインダーを覗くことが出来ないことから、事前に、うまく写真をとる練習をしていた。 


 月で採集した岩石を積み込み、月から離陸するためには、機体をなるべく軽くする必要があったので、アポロ計画では、合計12台(一人1台)のカメラは月に置き去りにされ、フィルムだけ持ち帰ったとされるが、実際には数台地球に持ち帰っていた。もともとは、無名だったウォルター・シラーが1962年にヒューストンのカメラ屋で購入したハッセルブラッド社のカメラ(500c)を私物として宇宙飛行に持ち込んだことから、NASAとスウェーデンのカメラメーカーとの付き合いが始まった。当初、NASAは、人間が宇宙に出る事が重要で あり、写真記録、ビデオ記録は重要視していなかったが、写真、映像がNASAのイメージアップを向上させる効果に気づいて、その後、映像、メディアを重要視するようになった。

●アポロ12号のアラン・ビーン飛行士


 
アラン・ビーンは、 はじめての月上陸(アポロ11号)の次のミッション(アポロ12号)で人類で第4番目に月面に立った人。NASAを引退後は、経験を活かして、月を描く画家として暮らしている。 彼は、アメリカ海軍出身なので、月面活動の際、月着陸船の近くのクレーターにアメリカ海軍の銀バッジを置いてきた。


●アポロ16号(ジョン・ヤング船長)で月面に残してきた家族の写真


 アポロ16号では、チャールズ・デューク飛行士が、家族の写真を月面に置いてきた。月面では大気がほとんどないので風も吹かず、砂に覆われたり、写真が劣化しない限り、何万年もこの状態であり続ける。


●アポロ15号(デビッド・スコット船長)で月面に残してきた「宇宙開発で命を落とした宇宙飛行士のリスト」とモニュメント


●アポロ16号でジャンプしながら敬礼するジョン・ヤング船長


 ヤング船長は、月に2回(アポロ10号で月周回、16号で上陸)来ており、後にスペースシャトル初飛行で船長も勤めた。 船外活動服&ヘルメットに赤いラインがついているので船長と分かる。アポロ11&12号では、船外活動服が白色で、後で写真分析で飛行士を区別するのが難しく、アポロ13号から船長用には赤いラインがつけられた。この写真は、スペースシャトル計画の開始が承認されたことが、連絡された直後に撮影されて、2mほどジャンプしたという。


●アポロ14号で活動中のエドガー・ミッチェル飛行士

 ミッチェル飛行士は、飛行中にテレパシー実験を行った。この時期、米軍で超能力実験を行うのは普通だった。


●アポロ14号でのアラン・シェパード船長

 シェパード船長は、土採取用スコップを使用して、人類で初めて月面でゴルフ&一人オリンピックを行った。 ゴルフについては、分厚い宇宙服が邪魔で、片腕によるスイングのためにあまり飛ばなかった。シェパードはアメリカ人として初めて宇宙飛行(宇宙船で地球を周回飛行した)をした人物でもある。


●アポロ15号で月面で電動自動車で探検中(おそらくデビッド・スコット船長)



 地球時間で3日以上、月に滞在して調査した。この電動自動車は組み立て式で、使用後は月面に残してきた。 腕に赤いラインがあるので、船長ということが分かる。


●アポロ15号(デビッド・スコット船長)で敬礼するジェームズ・アーウィン飛行士

 船外活動服、ヘルメットに赤いラインがついていないので、船長ではないという事が分かる。 アーウインは、NASA退役後に、牧師となってノアの箱船探索を行った。


●アポロ17号でのユージン・サーナン船長

 サーナン船長は、現時点で、人類で月に一番最後まで滞在した人で、月に来るのは2回目(アポロ10号で月周回、17号で上陸)。月に2回来た人は、他にジョン・ヤング飛行士(アポロ10号、16号)、ジム・ラベル飛行士(アポロ8号、アポロ13号)しかいない。 同僚のシュミット飛行士とともに、月面でのべ22時間船外活動を行い、電動車で35km移動し、歴史上、最も月面を広範囲に活動した人物。月面に娘の名前 のイニシャルを落書きしており、月面は風も吹かないので、落書きは半永久に残る。


●アポロ17号で月面を探査するハリソン・シュミット飛行士

  月にはこのような巨大な石もある。シュミット飛行士は、月面歩行者で唯一の地質学者であり、米軍に所属したことのない純粋な民間人。


●アポロ15号(デビッド・スコット船長)で月面から帰還する際に、アポロ宇宙船内部からから見た月



  写真の手前に「宇宙船の窓枠」が写っているので臨場感がある。



1.2 アポロ11号の写真集


●事前に砂漠で地質調査の予備練習を行った。(左、ニール・アームストロング船長(当時38才)、右 バズ・オルドリン飛行士 (アメリカ空軍大佐、39才))

 1月にアポロ11号の搭乗員決定してから、7月の打ち上げまで、1000時間の訓練を行い、その他に予備メンバーの飛行士3人がまったく同じ訓練を受け、支援メンバーの飛行士3人も参加して、正式メンバーの影に6人の宇宙飛行士が支援していた。


●実物大シミュレーターで月面着陸の練習(アームストロング船長)


「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍」という有名なフレーズの”小さな一歩”とは、このオレンジ色のお皿から踏み出すことを意味している。最初の想定では、月面着陸で月着陸船の脚は、写真の位置まで縮むハズだったが、実際には燃料ぎりぎりまで飛行した&ソフトランディングだったので、ハシゴは、かなり高い位置になっていた。


●実物大シミュレータで岩石採取訓練(アームストロング船長)


●月へ出発するために船外活動服に着替えるアームストロング船長。

 打ち上げ時の事故による急減圧に備えて、打ち上げ時は船外活動服を着用していた。


●サターンロケットに乗り込む3飛行士(打ち上げ3時間前ぐらい)


●ロケットに乗り込むアームストロング船長、うしろはマイケル・コリンズ飛行士( 米国空軍中佐(後に大佐に昇進、当時38才)、服が指令船パイロット用)


●オルドリン飛行士が着陸船から降りてくる場面。(1969年7月21日午後0時近く)


 月に着陸した時、衝撃で月着陸船(地球では重さ14.7トン、月面では2.45トン)が壊れていないかチェックするのに6時間費やした。アームストロング船長が、月面に立った後、緊急事態で早急に月面を離れなければならない事も予想されていたので、まずは、月の砂、石を拾ってヒザのポケットに収納し、その後、余裕を見て観測機器を設置した。その後、オルドリン飛行士は、アームストロング船長の18分後に月面に立った。船外活動服のデザインは変更されていないのに、出口の扉が設計変更で小さくなったので月着陸船から出るのに苦労した。 オルドリンは月着陸船から外に出て、月面に立つまでに時間があったので、「ハシゴにつかまっている間に、おしっこをした」そうで、人類史上はじめて月面でおしっこをした人間である。この写真は、オルドリンが元の位置に戻って取り直したもの。


●有名な足跡写真。オルドリン飛行士の足跡。

 風も吹かない月面では足跡は半永久に残るという。月の土は、風、水による風化がないので、微細に割れたガラス片のように尖っており、流動性に劣るために細かい濡れた泥のような状態であり、宇宙飛行士が歩くと(地球上で体重80kgとして、月面では6分の1では体重13kg)、1-2cm沈んだという。月着陸船(地上では14.7トン、月面では2.45トン)では、場所によって最大20cm程度、着陸時に脚部が土にめり込んだという。月の砂の性質を知るために、足跡をつける前から順番に写真を撮影していた。この写真を撮ることも事前に決まっていた。


●星条旗に敬礼するオルドリン飛行士。(1969年7月21日)これも撮影することが事前に決まっていた。

 月面から離れる時も大きなリスクがあり、使用されるロケット(1機しかない)は、開発にあたって 累計1000回近く動作試験を行ったという。背負っている生命維持装置は、4時間分の酸素、通信装置が入っており、地球では重さ54kg。着ている船外活動服は、地球では28kg。


●月着陸船の設置状況。月着陸船は砂にはあまり埋まっていない。オルドリン飛行士。

 月には大気がほとんどないために宇宙空間から、超高速の微粒子が降り注ぐととともに、月面の昼は+200℃、夜は-200℃になるために着陸船の脚にまで保護フイルムで覆っている。月面が船外活動にちょうど良い温度の時間帯(月面の夜時間帯)につくように、計算してから地球を出発したので、写真の明かりは月着陸船によるライト光である


●有名な写真。オルドリン飛行士。

 多くのメディアでは、本写真から、宇宙飛行士だけをトリミングして使用している場合が多いが、実際には、手前の棒のような月着陸船の着陸センサーの様子を観察している時に撮影されたものである。

 左手を曲げているのは、腕内側に記してあるチェックリストを見ている時に撮影したためと思われる。月面では、やることが分単位であらかじめ決まっていた。胸の部分の箱は、生命維持装置のコントロールボックス。月面用ブーツは、月面の熱や寒さに耐えるために、アルミ蒸着したプラスチックフィルム13層とガラス繊維12層を交互に重ねたもので、靴底はガラス繊維のフェルト、シリコンゴム、金属製布で作られている。 特徴的な金色のバイザー(お面)は、大きいので、横を向いても動かず、写真をとる時点でオルドリンがカメラを見ていたかどうかは不明である。宇宙服の気圧は大気圧の3分の1であり、純酸素で満たされている。大気と同じ1気圧では、宇宙服が風船のようにパンパンに膨らんで、動きにくくなるとともに、アポロ宇宙船、月着陸船内が1気圧であると、余計に強度が必要となりロケットの重量が重くなるので、1/3気圧になるように設計した。


●月面着陸に喜ぶヒューストン管制センター


●月着陸船の脚に残して来た記念プレート。この脚部分は永久に月面に残るものの一つ。

 地球の東半球と西半球、3人の飛行士とニクソンの署名、そして「西暦1969年7月、惑星地球から来た人間が月面に初めて足を踏み降ろしたことをここに記念する。我々はすべての人類の平和のために来た」と記述されている。


月面に、様々な観測機器を設置している場面。

 オルドリン飛行士の手元は月面地震計。腕部分の装置はレーザー反射装置。その奥の遠くの棒状のものは白黒テレビカメラ。この頃は、小型の白黒テレビカメラも画期的だった。


●月面での船外活動を終了した後のアームストロング船長。


月面での船外活動を終了した後のオルドリン飛行士。

 アポロ11号では月面では2時間船外活動し、不要物を月面に投棄した後、7時間の睡眠をとった後、2時間半の離陸準備を終えてから月面を離れた。この際、離陸のジェット噴流によって月面に立てた星条旗が吹き飛んだことが知られている。ルナモジュールは月周回軌道に放置され、その後、月面に衝突したと見られている。


●アポロ11号で月面から帰還する際に、アポロ宇宙船内部からから見た地球


●アポロ11号で月面から帰還する際に、アポロ宇宙船内部からから見た地球

 宇宙ステーション 、スペースシャトルの飛行高度からは地球全体は見渡せない。


●海上に着水し回収を待つ飛行士達と回収要員(一番左の人物)。

 時速3.9万kmで大気圏に突入し、大気との摩擦熱は2800℃に達した。高度7kmから3つのパラシュートが順番に開いて時速35キロで海面に着水。(7月24日 午前11時50分) 打ち上げから6日間経っているにも関わらず、予定よりも1分早いだけの正確さだった。この頃は月から未知の細菌を持ち込むことが懸念されたために検疫係が飛行士と宇宙船内を消毒し、マスク付きの防護服の着用が課された。


●空母ホーネットに到着した飛行士達。未知の細菌の可能性があるために移動検疫室(隔離施設)に直行。

 当時は、月面に未知の細菌、ウイルスがいるかもと予想されていたので、衛生面でも命がけの冒険だった。


●船上で大統領栄誉礼の儀式


●儀式終了後に飛行士達をねぎらうニクソン大統領。

 窓の上部には「空母ホーネット+3」とあり、3人多く乗っているという意味。 左からアームストロング、コリンズ、オルドリン飛行士。


●隔離施設に入ったまま、輸送機でアメリカ本土ヒューストンの「月物質受け入れ施設」まで空輸された。


8月11日まで隔離施設で2週間過ごして、徹底的に検査されて体調の変化を見た。

左から、コリンズ、オルドリン、アームストロング飛行士。


●アポロ11号で月面から持ち帰った石、砂の運搬作業。


●ニューヨークでの凱旋パレード。

左からオルドリン、コリンズ、アームストロング飛行士。

 

1.3 アポロ計画時の宇宙服

 アポロ計画では、宇宙飛行士ごとに専用の宇宙服(船外活動服 地球では重さ28kg、ちなみに背中に背負っている箱は生命維持装置で重さ54kg)が用意され、手袋については、指先まで長さを測って合わせるとともに、月面は極寒であるので指先までヒーターが設置されていた。腕の内側には、月面で行う活動のチェックリスト(ここで写真をとる等)が記されている。宇宙服内部は、0.3気圧で動きやすくなっていた。ちなみに、当時の旧ソ連の宇宙服は内部が地球と同じ1気圧に加圧してあったが、真空に近い状態の宇宙では、風船のようにパンパンに膨らんで、指を曲げるの一つに凄く力が必要だった。白い布は、太陽光の輻射熱を避けるためにアルミ箔を内臓するとともに、月面で微小隕石が直撃して宇宙服に穴が空いても大丈夫なように、20-21層の素材で構成されていた。下着のシャツ、パンツに相当する服は、極細の柔軟パイプで編んであり、冷却水を循環させて体温調整を行った。下記画面で黄色い帯に見えるのがおしっこをためておく袋で、飛行士はコンドーム状のゴムをはめており、いつでもおしっこ出来るようになっていた。うんちの場合は、透明な袋をお尻にあてて、用済み後は蓋を閉じるもので、後に通称”アポロバック”と呼ばれるようになった。初期は、お尻にパイプを突っ込んで吸引するタイプが提案されたが、当時の宇宙飛行士達の猛反対によって 、この案は撤回された。


1.4 アポロ計画のその他

 船外活動服> アポロ計画の際は、宇宙飛行士それぞれの体にあわせて(指先の長さまで合わせた)宇宙服 (地球では船外活動服 28kgだが、宇宙空間に出ると実質0kgになる。)が新調され 、背負っている生命維持装置(4時間分の酸素、通信装置入り)は、地球では約54kgで、合計すると約82kgあった。宇宙服内を単純に1気圧で加圧すると、風船のように均等に加圧され、腕を動かす 足を曲げる事さえ困難になり、事実、アポロ計画での映像を見ると、動きにくかったのでウサギ跳びをして移動しているのが分かる。

 アームストロング船長が先に、月面に降りた理由> アポロ計画では、3人一組で月に行ったが、一人は月の周回軌道(2時間で月を1周するペース)上の指令船で待機して、月面からの帰還に備えていた。通常の探検では、部下が先に下船して様子を探るものだが、月着陸船では機体の構造上、かさばる 船外活動服(着るのに1時間かかるらしい)を着た部下が先に出ようとすると、狭い機内で船長をまたぐ格好になり、結果として船長が先に月面に出るように変更された。

 船外活動服に赤い線が入っている理由> 初期の宇宙服は船長、パイロットの二人とも同じデザインで、後に写真で区別がつかなかったので、アポロ13号から船長の着る宇宙服には「赤いライン」がつけられた。

 宇宙飛行士は公務員> 宇宙飛行士は、NASAの職員。イコール公務員なので、宇宙行く時も「宇宙へ出張」となっていた。その出張手当ては当時で1日3ドルだったらしい(今で言うと2000円ぐらい?)。また、月から帰還してハワイ沖に着水し、ハワイに入国した際、税関で税関申告書を書かされ、出発国「月」、持込物 「月の石、ほこり」という書類も残っている。

 バズ・ライトイヤーとオルドリン飛行士の関係> ピクサーアニメ映画「トイ・ストーリー」で主人公の一人としてバズ・ライトイヤーという宇宙飛行士が出てくるが、これは2番目(アームストロング船長に続いて20分後に上陸)に月面を歩いたバズ・オリドリンに由来している。有名な月面に記した足跡の写真、月面での船外活動のほとんどの写真は、オルドリン氏のものである。ちなみに、「おもちゃのバズ・ライトイヤー」は2008年のスペースシャトルミッションSTS-126のクルーとして宇宙ステーションに行っており、の夢は実現された。

 サターンロケットは2000トンの燃料を2.5分で消費> アポロ宇宙船の打ち上げに使用されたロケット「サターンV」は、全長110m、燃料込みの総重量3000トンで、25万人の技術者と、約2000の企業が関わったとされ、最下部の第1段ロケット部分は、燃料のケロシン、液体酸素合わせて2000トンを2分30秒で消費した。

 アポロ計画の際は、宇宙飛行士それぞれの体にあわせて(指先の長さまで合わせた)宇宙服 (地球では船外活動服 28kgだが、宇宙空間に出ると実質0kgになる。)が新調され 、背負っている生命維持装置(4時間分の酸素、通信装置入り)は、地球では約54kgで、合計すると約82kgあった。ただし月面は、重力は6分の1になるので、実質は13kgになる。柔らかい宇宙服内を単純に1気圧で加圧すると、風船のように均等に加圧され、腕を動かす 足を曲げる事さえ困難になるので、実際は鎧のように硬い部分から構成されている。

 

1.7 人類月面着陸、アポロ計画

 アポロ計画では、”米国の国家優先事項”として、企業2万社、ピーク時には40万人の労働者、総合すると延べ300万人が10年、当時のお金にして300億ドル(今にすると日本では20兆円ぐらい 、20兆円は数字で表示すると20,000,000,000,000円)で取り組んで巨大ロケット(サターンV(5))を 20機ぐらい作製し、片道3日かけて月を目指した。 ロケットも含めて何もかもが一から特注で作製され、例えば、月着陸船のメカニカルスイッチ一つで、1960年時点で5000ドル(現代の相場感にして300万円以上)のコストがかかっていた。

  アメリカは、 旧ソ連のガガーリンの宇宙初飛行の1ヶ月後に、旧ソ連に対する技術的優位を示すために、”国家優先事項”として「人類の月面上陸及び安全な帰還」を宣言し、この時点でアメリカは 「人間が5分間、宇宙空間に出ただけ」の経験しかなかった。

 ”人間がはじめて月まで行ったアポロ8号、月に上陸したアポロ11号”まで、月に向けて無人宇宙船を合計33機打ち上げて 、月まで確実に行く方法、月の表面の性状、気候調べ、数万枚の写真をとって月の地図を作成、軟着陸の技術開発、月の砂に着陸船が埋まらないか、等々の経験を積んで事前準備をした。

 衛星が地球を回るのに比べると、他の惑星に確実に行くというのは、太陽も、地球も、目的の星も常に動いている(自転、公転、秤動運動(コマの首振り運動)、重力の不均一分布、大気の影響もある)ので、実際は「遊園地のメリーゴーランド上でキャッチボールするような状態」となり、厳密な軌道計算、タイミングが必要となるらしい。

 マーキュリー計画で地球を回る技術、ジェミニ(双子座)計画で2人宇宙飛行する技術、宇宙空間でドッキングする技術を固め、月面に向けてアポロ計画を実行した。

 アポロ計画の”アポロ”は、NASAのエイブ・シルバーシュタインがサターン・ロケットに載せる宇宙船の名前を考えていた時に、たまたま手にした神話の本で太陽の車にのって大空をかけるアポロンの姿を見て、アポロと命名することを提案をして採用された。(出典 ニュートン別冊 月のミステリー、教育社)

 スペースシャトルは離陸後8.5分で高度150km程度の周回軌道に到達する(国際宇宙ステーションは高度約400km)のに対して、アポロ計画では月まで38万キロ(宇宙ステーションまでの距離の950倍、光のスピードで片道1.28秒)の距離を片道3日かけて行った。新幹線で行くと片道で約80日、ジェット旅客機で行くと約20日、コンコルドでマッハ2の速度で行くと約2週間かかる距離だそう。ちなみに火星に行くまで(片道8000万キロメートル)は現在の技術では 火星の位置によるが片道で最短で4ヶ月、一番長いと2-3年かかるそう。宇宙空間では、太陽光が当たる部分は、200℃、当たらない部分は-200℃ぐらいになるので、 バーベキューのように少しづつ宇宙船が回転するようにして、宇宙船の温度が均一になるようにした。

 地球をリンゴの大きさ(約10cm)と仮定すると、大気の厚みはリンゴの皮以下(0.08ミリメートル)で、この大気層が、宇宙からの紫外線をカットするとともに、地球内部からの熱、太陽光由来の熱の宇宙空間への放出を抑えているらしい。ちなみに宇宙ステーションはリンゴ表面の3ミリメートル上空を周回しているだけで、月はリンゴの約3m先を周回していることになり、このことからも「アポロ計画で月に人間が行った(どれだけ遠くまで行ったか)」という事実がいかに偉業かということが分かる。

 実際問題として、光のスピードでいうと、月までは片道1.28秒、太陽までは8分、火星は最も地球に近くにあると片道4分、地球と最も反対位置(太陽の向こうにいるから)にいると片道20分かかり、人類が作り出した人工物として最も遠くにいる惑星探査機ボイジャーは現在太陽系を脱出しつつあり、光のスピードで17時間かかる場所(太陽系の端まで35年かけて行った。)にいる。


1.7.1 アポロミッションのトピック

< 主要なアポロ計画と、任務、トピック >

アポロ1号>  1967年1月  ガス・グリソム船長。 発射台で、打ち上げ本番さながらの訓練中にアポロ宇宙船内で火事が発生して、グリソム、ホワイト、チャフィー飛行士が脱出出来ずに死亡。 この反省から宇宙船内部から迅速に脱出出来るように簡単にハッチが開くように改造された。 (注>初期はアポロ1号という名称ではなかったが、事故後、正式にアポロ1号と命名された。)

アポロ2号、3号> アポロ1号の事故を受けて事故対策のためにキャンセル

アポロ4号>  1967年11月  無人のアポロ宇宙船と実物大月着陸船を載せてサターンV(サターン5)ロケットの初飛行。強烈な騒音と振動で、打ち上げ場所から6km離れた場所において天井タイルが剥がれ、ガラスが割れそうな勢いだったそうで、その後、周辺への影響対策が取られた。 (無人)

アポロ5号>  1968年1月  サターン4ロケットを用いて月着陸船を打ち上げテスト。(無人)

アポロ6号>  1968年4月  サターンV (5) ロケットを用いて打ち上げテスト。(無人)

アポロ7号>  1968年10月  ウォルター・シラー船長。 ロケット、宇宙船の信頼性確立のために地球を11日間回った。

アポロ8号>  1968年12月  フランク・ボーマン船長。 人類史上はじめて人が地球の周回軌道よりも遠くに出て、月の軌道に行って、月から地球が出てくるシーンを撮影し、無事に戻ってきた。しかし、無事に戻ってくる保障はなく、そのまま宇宙をさまよう危険性もあった。

アポロ9号>  1969年3月 ジェームズ・マクディヴィット船長。 月面着陸に備えて、地球の軌道上で指令船と着陸船の切り離しとドッキングがうまく出来るかを10日間かかってテストした。

アポロ10号>  1969年5月 トーマス・スタフォード船長。 月まで飛行し、着陸船の降下テストを行い、月面高度15.6kmまでの距離に近づいた。またアポロ11号の着陸予定地点「静かの海」が本当に着陸に適しているかを調べた。宇宙空間からのカラーテレビによる生中継を行った。

アポロ11号>  1969年7月  ニール・アームストロング船長。 月に着陸した際に着陸船が砂中に沈んで、地球に帰還できなくなることも予想されていた。月から離脱する際に、発射スイッチが外れており、オルドリン飛行士がマーカーペン”Duro 'Rocket' aluminum bodied marker pen”の先でスイッチを押して出発したという逸話が残っている。昭和44年7月20日、月着陸船イーグルは、日本時間の5時17分に月面に着陸し、この映像は世界40か国以上に同時中継され、5億人以上の人々が見ていたといわれる。

 アームストロング船長の言葉、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」はあまりに有名で、NHK特別番組『アポロ11号月着陸』では、月面着陸までの様子を深夜0時から衛星生中継で計13時間にわたって伝え、着陸に成功した瞬間の視聴率は68.3%だった。 「これは一人の人間にとっては~」の言葉は、その場で思いついたと長年言われてきたが、アームストロングの弟の証言によると、月面上陸の数ヶ月前に考えていた文章 だった。月面から未知の病原菌を持ち込んでいる可能性があるということで、地球帰還後、 「手、足、頭がつながったスーツ」を着て、アポロ宇宙船から出て、空母上の移動式隔離施設(キャンピングカーのようなもの)に隔離され、隔離されたまま輸送機で米国に運ばれ、約3週間 、隔離施設で過ごした。

 ニール・アームストロングが選ばれたのは、月着陸船の開発段階で参加し、着陸船の操縦に慣れていたことと、元軍人ではあるが、アポロ計画時はNASA職員であったこと、オルドリンに比べて冷静沈着な性格であったことが理由とされている。 また、バズ・オルドリンが選ばれたのは彼が宇宙航行、ランデブーの専門家だったことが要因として考えられており、オルドリンは人類で最初に月面に立つことは出来なかったが月面活動中の姿のほとんど、及び有名な「月面の足跡」の写真はオルドリン飛行士の足跡である。 

アポロ12号>  1969年11月  ピート・コンラッド船長。 アポロ11号では不正確だった着陸精度の向上(無人月面着陸機 サーベイヤー3号が見えるぐらいの場所に着陸)、岩石の採取などを行った。12号の予備乗員達のいたずらによって月面で使用するチェックリスト中に「プレイボーイ誌のヌード写真」が仕込まれており、人類史上はじめて月にヌード写真が持ち込まれた。

アポロ13号>  1970年4月  ジム・ラベル船長。 月に向かう途中で事故のために月面着陸は中止されたが、月を回ってから奇跡的に帰還した。このエピソードは、後に「アポロ13」として映画化された。 アポロ13号から、船外活動中の宇宙飛行士を特定するために船長用の宇宙服には赤いラインがつけられた。

アポロ14号>  1971年1月  アラン・シェパード船長。 手押し式カートを初めて持ち込み、月面で様々な科学分析装置や実験装置を展開、作動させた。月面を初めてカラー撮影を行った。岩石採取スコップを使用して、人類初めて月面でゴルフを行った。また、月面で使用するスコップで槍投げを行い、人類初めて月面でオリンピックを行った。エドガーミッチェル飛行士は、月に向かう途中で 地上と超能力実験を行った。 アラン・シェパード船長は、マーキュリー計画のフリーダム7でアメリカ人としてはじめて宇宙に出た人物で、月面に立った人類としては最高齢の47才だった。

アポロ15号>  1971年7月  デビッド・スコット船長。 月面に3日以上滞在し、電動車(ルナ・ローバー)を持ち込んで、広い範囲で調査を行った。ミッション終了後に、飛行士がこっそりとNASA非公式の約400通の初日カバー((FDC, First Day Cover) 、郵便ハガキみたいなもの)を月面に持って行ったことが明らかになり、スキャンダルとなった。

アポロ16号>  1972年4月 ジョン・ヤング船長。 チャールズ・デューク、月面に電動車を持ち込んで3日間、 27kmドライブして探索(主に月の高地)を行った。デューク飛行士が月面に家族の写真を置いてきた。

アポロ17号>  1972年12月 ユージーン・サーナン船長。 最後の月面着陸ではじめて地質学者(ハリソン・シュミット)を連れて行った。 月に行きたいベテラン宇宙飛行士は多くいたので、選ばれた地質学者は訓練中は複雑な心境だったそう。月面を車で探査し、オレンジ色の土を発見した。


1.7.2 月に行った人達、月面を歩いた人達

 歴史上、これまでに月に行った人は24人、月の上を歩いた人は12人。人類がこれまでに行った最も遠い所は 、月の周回軌道の地球から裏側でアポロ計画では宇宙飛行士が3日かけて月に行った。

40年前に月の上を歩いた人の順番と名前、及び指令船パイロットとして月面上空で支援した人>-------------------------

1番目● 船長 ニール・アームストロング (故人。人類最初に月面に立った人で当時は39才)

2番目● バズ・オルドリン (アームストロングの20分後に上陸 、トイストーリーのバズライトイヤーのモデル、月面ではじめておしっこした。 元来は宇宙オタクでドッキング理論に詳しいこともあってメンバーに選ばれた。人づきあいが苦手なのに、アポロ11号メンバーになったので、後年、ギャップに苦しんだ。)

     指令船パイロット マイケル・コリンズ (アポロ11号 、引退後、スミソニアン航空宇宙博物館の館長になった。)

3番目 船長 ピート・コンラッド (故人。船外活動ヘルメットの上に巨大な野球帽を被ろうとしたがNASAに却下された。バックアップクルーのいたずらによって、結果的に人類はじめてヌード写真を月面に持ち込んだ。月面で初めてダンスを踊ったと自称していた。)

4番目● アラン・ビーン   (引退後、画家になった。)

     指令船パイロット リチャード・ゴードン (アポロ12号)

 注>アポロ13号は事故のため途中で帰還。

5番目 船長 アラン・シェパード (アポロ14号、故人。47才で月面に立った最高齢の人。月面で初めてゴルフ、一人オリンピックした。月面に、はじめて手押しカートを持って行った。 アメリカ人として、はじめて宇宙飛行した人)

6番目● エドガー・ミッチェル  (宇宙から地球にテレパシー実験した人)

     指令船パイロット スチュアート・ローサ (アポロ14号)

7番目 船長 デビッド・スコット (アポロ15号、月面をはじめて電動車でドライブした人)

8番目 ジェームズ・アーウィン (故人。ジム・アーウインとも表記、NASA退役後は牧師として活動し、ノアの箱船探索に活動した。)

     指令船パイロット アルフレッド・ウォーデン (アポロ15号)

9番目● 船長 ジョン・ヤング  ( アポロ16号、月に二回行って、一回は月面を歩いた。スペースシャトル第一回飛行時の船長、合計6回宇宙飛行。月面を車でドライブ)

10番目 チャールズ・デューク  (家族の写真を月面に置いてきた。月面に立った12人中で最も若くして(37才)月面に立った人)

     指令船パイロット ケン・マッティングリー (アポロ16号)

11番目● 船長 ユージン・サーナン( アポロ17号、現時点で最後に月を離れた人 、ジーン・サーナンとも表記。月面に娘の名前を落書きしてきた。 月面を累計22時間探査し、月面を電動車で約35kmもドライブするなど、月面でもっとも広範囲を活動した。)

12番目 ハリソン・シュミット( 月に立った唯一の地質学者、他の人は軍隊、NASA上がりの宇宙飛行士。月面を累計22時間探査し、月面を電動車で約35kmもドライブするなど、月面でもっとも広範囲を活動した。)

     指令船パイロット ロン・エバンス(故人) (アポロ17号)

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アポロ8号 船長 フランク・ボーマン   パイロット ジム・ラベル  パイロット ウイリアム・アンダース (ビル・アンダースとも表記))(人類で初めて、月に到達した人達)

アポロ10号 船長 トーマス・スタッフォード    パイロット ユージン・サーナン  指令船パイロット ジョン・ヤング (月面着陸寸前まで行った)

アポロ13号 船長 ジム・ラベル (月に2回行ったが、結局立つことはなかった。)   パイロット フレッド・ヘイズ(月に立つハズだった。)   指令船パイロット ジョン・スワイガート(故人)

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 太字の人は月に2回行った人達。ジム・ラベルは月に合計2回行ったが月面には降りられず。ジョン・ヤング、ユージン・サーナンは月に2回行って一回は月面を歩いている。

 ○9番目に月面を歩いたジョン・ヤングは、アポロ10号で月を周回、16号で月面を歩き、スペースシャトル初飛行(STS-1)STS-9を含め合計6回も宇宙に出かけており、マッハ35という人類最高スピード記録を体験した人でギネスブックにも掲載されており、人類史上、最も移動した距離の長い人、及び「ミスター宇宙飛行士」であろう。


1.8 サターンロケット

    ~ 人類史上、最も速く、最も遠くへ旅した乗り物 ~

< 43年前に”月まで3人を運んだアポロ宇宙船”を打ち上げるのに使用した史上最大のロケット” サターンV (5) ” >


 サターンロケットは、2000トンの燃料を2分半で消費し、打ち上げ後11分でほとんどの部分が廃棄される>

 1960年代、アポロ計画は旧ソ連に対する科学技術の優位性を示すためにアメリカ国家の最優先事項として計画され、企業2万社、延べ300万人が10年、当時のお金にして300億ドル(今にすると日本では20兆円ぐらい)で取り組んだ。スペースシャトルが地上100kmぐらいを周回する(打ち上げて約9分で打ち上げ完了)のに対して、アポロ宇宙船は、43年前に月まで片道3日かけて38万kmを宇宙空間を単独航行し、帰ってきた。(スペースシャトル:アポロ=100km:380000km→ 3800倍の距離)。

 アポロ宇宙船の打ち上げに使用されたロケット「サターンV」は、全長110m (30階建てビルに相当)、燃料込みの総重量3000トンで、トータルで20機ほど製作され、25万人の技術者と、約2000の企業が関わり”当時の技術で可能な限り小さく作った”とされ、最下部の第1段ロケット部分は、燃料のケロシン (成分は灯油とほぼ同じ)、液体酸素合わせて2000トンを2分30秒(毎秒15トン、自動車50万台以上、ジェット戦闘機543機の推力)で消費した。第1段ロケット部分は、街で見かけるタンクローリー(1.6万L)48台分のケロシン、75台分の液体酸素を搭載し、2秒間の燃焼でタンクローリー1台分のケロシンを消費した。ロケット上部の”銀色以上の部分がアポロ宇宙船”で、すぐ下の三角錐部分に月着陸船を収納 している。48トンのアポロ宇宙船を月軌道に運ぶためには、打ち上げ時には3038トンのロケットが必要で、第一段ロケットの燃料は2056トン、第二段ロケットは485トン、第三段ロケットは26.7トンの燃料を使用し、ロケット本体の重量は470トンに対して燃料は約5倍の2568トンが必要である。

 地球に帰還したのは銀色部分の上にある三角形部分(アポロ指令船)だけで、この形が”アポロチョコ”の原形になった。左図の下部に見えるのは大型ヘリであり、ロケットの巨大さがよく分かる。 打ち上げ時のロケットには窓がないので、宇宙飛行士は地球を出るまで外の風景を見ることはな く、打ち上げ直後の重力加速度は1.1Gと快適で、宇宙船内部は意外と静かだったという。この時代(40年前)のコンピュータは初代ファミコン以下の計算能力であったのは有名な話。 月面が熱くない夜に上陸することを目標にして、当時700台近くのコンピュータを使用して月までの軌道を計算して (地球も、月も、太陽も動いているので、実際にはメリーゴーランド上でキャッチボールするような状態になり、そのための計算)から打ち上げた。 5つある第一段ロケットのエンジンの一機でも、故障すれば離陸は不可能であり、そういう時の脱出に備えて、アポロ宇宙船の上部に、脱出用ロケット(一番上の筒状の部分)が装備されてい る。また、燃料充填係は、志願制で、打ち上げ時には、地下にある地下壕に避難していた。

 「サターン(土星)」という名前は、以前に使用していたロケットが「ジュピターC(木星)」だったので、次は順番からいくと「土星(サターン)だろう」という経緯で決まった。

 最新のロケットは外板の厚さは、1.6mmで、これをハニカム構造にすることによって強度を保っている。ロケットの直径4mに対して板の厚さが1.6mmなので、割合でいうと1万分の4しかない。一方、卵は殻の厚さが0.3mmなので直径4cmに対する割合は1万分の75なので、「卵の殻は最新ロケットの20倍も厚い」ということになり、これぐらい薄くなると、タンク内部にガスを注入しないと変形して、ロケットを立てることも出来ない。


<第1段ロケット S-IC  燃料>液体酸素+ケロシン >

~地上から大空へ~

 打ち上げから、2分42秒燃焼し、マッハ8、高度70kmまでの加速を担当。直径、約10m、全長42m、上部タンクには約1400トンの液体酸素、下部タンクには約630トンのケロシンが入っており、下部のF-1エンジン5基に燃料を送り込む。第1段ロケットに5つ装備されている、F-1エンジンは、一基でスペースシャトルのメインエンジン3基以上の推力を発生し、5基のエンジンは、スペースシャトル5機以上の出力、1億6000万馬力を発生し、小学校の25mプールの水を30秒で空にするほどのポンプを搭載している。 打ち上げ時には2200トンの重量であるが、燃料を除く本体は、約137トン(打ち上げ時の重量の6.2%)しかない。

 発射8.9秒前に、5つあるうちの、中央エンジンが点火され、続いて周囲の向かい合わせになるエンジンが、機体にかかる負荷を抑えるために0.3秒の間隔をおいて点火される。発射2秒前にエンジンが全開になり、機体に搭載されたコンピューターが異常がないことを確認すると、ロケットと塔をつないでいたアームが切り離される。続いて第一段ロケットを発射台に固定していたピンが外され、機体はすみやかに離陸を開始する。いったん離陸してしまえば、エンジンが停止するような事態が発生したとしても、ロケットを発射台に戻す方法はない。

 ロケットが完全に塔から離れるまでには、約12秒かかる。その間、強風が吹いて塔と接触したりすることのないよう、機体は塔と反対の方向に1.25度傾けられる。高度130mに達すると、機体は方位角を合わせるためにローリングを開始し、第二段ロケットの点火38秒前まで、徐々に角度を傾けていく。このプログラムは、発射が行われる季節の風向きによっても異なってくる。周囲の4基のエンジンは、仮にどれかが故障して燃焼を停止しても推力線が重心を外れることのないよう、わずかに外側に傾けられている。飛行の初期段階はもっぱら高度を得ることに費やされ、速度を得るのは後半部分になる。

 第一段ロケットは150秒の燃焼で2,000トンの燃料を消費し、機体を 高度130mまで上昇させた後、飛行制御で傾きはじめ、高度68km、マッハ8にまで到達させる。 高度68kmで分離した第1段ロケットは、惰性によって高度110kmまで上昇したあと、ケネディ宇宙センターから560km離れた大西洋上に落下する。

< 緊急脱出システム LES 分離 >

 燃料には液第2段ロケットが燃焼をはじめて35秒後に、高度96kmで安全が確認されれば緊急脱出システムが分離されて、この時点(打ち上げから3分17秒後)で宇宙飛行士は、はじめて外の風景が見られる。緊急脱出システム自体が一種のミニロケットであり、発射台上でトラブルが発生した場合、システムが月司令船を抱えて打ちあがり、安全に月司令船を脱出させるようになっている。

 

<第2段ロケット S-II  燃料>液体酸素+液体水素 >

~大気圏から宇宙へ~

 燃料には液体水素と液体酸素を使用し、打ち上げ直前まで、気化して損なわれる液体水素を充填している。打ち上げから、第一段ロケットの分離後、5基のJ-2エンジンが360秒燃焼して、アポロ宇宙船を高度184km、秒速7kmまで加速させた後、発射点から4200km離れた大西洋上に落下する。

<第3段ロケット S-IVB  燃料>液体酸素+液体水素 >

~地球から月へ~

 第2段ロケットと同じJ-2エンジンが一基ついており、最初の165秒の噴射でアポロ宇宙船を地球周回軌道速度まで加速後、その後、335秒の噴射で地球の重力圏脱出速度である秒速11.2kmまでアポロ宇宙船を加速する。その後、分離して太陽を回る軌道に投入される。

  

< 宇宙飛行士、その他 >

1.9 月のトリビア、月の石

 月の大きさ> 月は、大きさはオーストラリア大陸程度で地球の回りを楕円軌道で公転する「衛星」。衛星とは地球などの惑星のまわりを公転する自然の天体のことで、人間が打ち上げたものは「人工衛星」として区別している。月の直径は3478km、体積は219億km3、質量は73.48京トン、地球の1.23%の質量に相当。

 月の誕生> 月は、45億年前に原始地球に巨大な隕石が衝突してそのカケラが集まって出来たとの説が有力となっ ており、地球のように風化作用がないので月の石は生成時、つまり45億年前の岩石がそのまま残っているという。月は地球からは丸く見えるが実際の形状はいびつであり、「いびつさ」が有力な証拠となっている。表面の平均気温は-23℃、最高気温123℃、最低気温-233℃。 月は自転しているが、表側に比重の重い玄武岩(月の黒い部分)が偏在しているために、月自体の重心が偏っており、ダルマ人形のように、長い年月の間に地球の自転周期とシンクロ(自然になるらしい)して地球からは常に表側しか見られない といわれるが実際には月は長い時間をかけてわずかにぶれる(秤動)ので、丹念に調べると60%は地球から観察できるらしい。 月の黒い部分を「~の海」と命名されているのは、昔、ドイツの天文学者ケプラー(1630年没)が、黒い部分には海があると信じて名前をつけたから。ガリレオも1642年没だが、このころには望遠鏡が発明されており、この時代の望遠鏡でも木星の衛星(ガリレオ衛星)まで見えていたというから驚きである。

 月面での生活> 月の重力が地球の6分の1であるのは有名な話だが、地球でも水中では浮力との関係で重力?は9分の1になっているらしい。 ちなみに、木星は地球の2.5倍の重力あり、木星を回る月は63個あるという。地球の周りを回っており、月と地球の自転周期がシンクロしており、月は地球の周りを回転しているので、月の同じ場所(例えば月面基地)から地球を見た場合、地球は常に空の同じ位置にあって動かない。(地球で太陽や月を見たときのように移動しているように見えないということ。)月の北極、南極などでは、月の地平線近くに地球が見えて、月の赤道上では地球は真上に見えるという。

 月には大気がほとんどないので、宇宙からの隕石が、燃え尽きることなく、高速で直撃するからあのようにデコボコのクレーターだらけになり、水も空気もないのでクレーターが何万年たってもそのまま残っている。また、これらの石は長い間繰り返し徹底的に粉砕され、水、風の風化作用がないので、小さくても尖った形状をしており、宇宙服にこびりつくほか、月面探査から帰還した宇宙船内を浮遊し、それらを吸った宇宙飛行士は、花粉症に似た症状を示したそう。月には大気はほとんどなく(重力が小さいので、宇宙空間に大気成分が揮発した)、水の流れ、風も吹かないので、アポロ計画で人間が歩いた足跡は、少なくとも100万年は、そのまま残ると言われている。

 月の1日は地球の時間になおすと656時間(27.3日、地球の感覚でいうとお昼が15日間続いた後、夜が15日続くということ。)、(地球は24時間)、火星は24.5時間、宇宙ステーションの場合は45分で朝と夜が入れ替わる。よってアポロ計画では、地球時間では月面で何日も過ごしたが、月の時間でいうと一日も過ごしていない。これは、月の一日において太陽が当たる時間になると、月着陸船付近の温度が200℃になるため、ちょうどいい温度時間帯になるように計算して着陸した。 よって、月面着陸関係の写真で背景、地面が黒いのは月の夜時間に活動したから。

 また、月面では、大気がほとんどないので、太陽が見えても地球のような”青空(=太陽光が大気で青色の補色を吸収しているから人間には青く見える)”というのは、そもそも存在せず、地球で夜空を見るように、”月あかりのような”強烈な光をはなつ太陽が見えるだけで、大気がないので昼と夜の境目がハッキリしており、月面は太陽光が射すと急激に温度が上昇するらしい。

 月の石 > 月が白く見えるのは、「レゴリス」と呼ばれる隕石や溶岩の噴火によって溶けた直径10ミクロン~1mmのガラスや土が強烈な太陽光線を反射しているから。月の白い部分は、斜長石(詳しく言うと(Ca,Na)長石、灰曹長石、ラブラドライト とも言う)と、細かい玄武岩と斜長石が物理的に混ざった角礫岩(かくれきがん、角は粒子が角張った、礫は物理的に混じったという意味)で出来ており、 全体に黒茶色の玄武岩が分散しえいるので、全体的には月は灰色に見える。アポロ計画によると、その他にマグマの噴火、隕石の衝突にともなって生成したオレンジ色のガラス質の鉱物、黒色球状の石も発見されている。月の黒い部分は、溶岩が噴出して固まった黒っぽい 茶色かかった玄武岩

  玄武岩は、地球のマントル層にも豊富にあるカンラン石(宝石名 ペリドット、カンランとは植物のオリーブの事、オリーブのような黄緑色をしているので、カンランと呼んでいる。) が溶融して生成される非晶質系の岩なので、月の内部にはカンラン石もあると推察されている。

 多くの隕石はカンラン石((Mg, Fe)2SiO4, 宝石名 ペリドット)や、金属鉄、ニッケルから出来ており、隕石が衝突すると隕石中のカンラン石が溶けてマグマとなり、マグマが冷える過程で斜長石(宝石名 ラブラドライト)が析出し、のこりの成分が黒い玄武岩として残るとされている。玄武岩が黒いのは2価の鉄イオンの影響。 ちなみに火星が赤いのは3価の鉄イオンの影響。

 月の石として販売されているものには、アポロ計画で持ち帰ったもの、月起源隕石、ニセモノがあり、アポロ計画で月から人間が持ち帰ったものは、非常に稀であるがアメリカのオークションで販売されることがある。これは、アポロ計画の宇宙飛行士がお土産に家族、知人に配ったものが、40年たって売りに出される場合である。その他、月には大気がないので、古代に大きな隕石が月に衝突した際に、宇宙空間に月の石が飛び出して長年漂っており、過去に地球に隕石として落下したものがある。これを月起源隕石という。このカケラがアメリカのオークションで販売されている。多くは黒色と白色の岩の混じった角礫岩で、黒、白の岩が、ゴマつぶぐらいに小さいものが本物。実物については、国立科学博物館で見るか、グーグルで”月の石”で画像検索してみるとよい。黒、白の岩が数ミリ~1cm以上あるものは、たいがい地球で採取されたニセモノである。

 月と地球の関係> 月は地球のまわりを楕円軌道で回っているが、月も質量が大きいので、「地球と月が引っ張りあってお互いを振り回して」おり、地球と月の重心は、地球の中心から約4600km(地球の半径が6400kmなので地下1800km、下部マントルの辺り)の所にあ り、厳密にいうと太陽の周りを地球が中心になって公転しているのではなく、実際には”地球と月が2人でダンスするように”回転しながら、”地球と月の重心部分を中心にして”太陽の周りを公転している。 もっとも、より正確に表現すると、地球の巨大な重力で、地球周辺の空間が歪んでおり、その歪んだ空間に向けて月(月の重量も大きいので月周辺の空間も歪んでいるが、月と比べると地球は圧倒的に大きい)が落下する際に回転を始めて、遠心力と落下の力が釣り合ったのが現在の月の軌道ということになる。

 月が無かったら> もし月が誕生していなかったら、月の引力がないので現在の地球の自転速度は現在よりもっと速く一日は8時間。地球が誕生当時は5時間と推定されている。潮の満ち引きは、太陽の引力だけで引き起こされる ようになる(現実には、地球に一番近く、重量のある月が地球の海水を引っ張っており、月が見えなくなる新月と、満月の時期(=海水に遠心力がかかる時期)が最高に潮が満ちる)ので、規模は3分の1になり、進化の場になった干潟の面積は小さくなり、魚が地上に進出するかどうかは疑わしかった。地球の自転が早いために猛烈な風が吹き荒れ、台風のような環境で 毎日生活することになる。

 月は光っていない> 月は自分で発光しているのではなく、強烈な太陽光線を鏡のように反射しているだけなので、満月になるのは、太陽から見て地球よりも外側に位置したから。新月(ほとんど見えなくなる)になるのは、ちょうど太陽と地球の直線状に入った時。三日月になるのは、太陽と地球の直線状からずれた時。上弦の月、下弦の月になるのは月の軌道が、太陽と地球の軌道よりも角度がついて公転しているから。

 月は自分で光っているのではなく、太陽光を反射しているだけであり、例えば三日月は、三日月の光っている方向に太陽があるということ。また、理論的には、昼間見える月と夜見える月は同じ明るさのハズで、夜明るく見えるのは人間が見ている場所が夜になって暗くなるから。 日本で「上弦の月」を見ている時には、反対側のブラジルでは「下弦の月」を見ている。

 月という名前> 月は英語ではムーン、ラテン語ではルナ。形容詞でルナティックというと「月の~」という意味であるが「狂ったとか、狂気の」という意味もある。ムーニーという形容詞も口語では「イカレた」という意味もあり、日本語の月(つき)という語源は「憑き(魔物が憑くの「つく」)」から来ており、古来から青白い月の光は人間に作用していたらしい。

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2.0 地球のトリビア

 地球の自転速度> 地球1周の長さは、赤道上で約40,000km。24時間で1周すると考えれば、40,000(km)÷24(時間)=1,667(km/時)

日本付近(北緯30度)で計算してみると、時速約1,450km。(マッハ1.2ぐらい、ちなみにジェット旅客機の巡航速度は時速800km。)

ちなみに、地球誕生時は一日4-5時間であり、遠心力の関係で、今よりも重力はかなり小さかったはずである。

 地球の公転速度> 地球が1年(1年は正確には約365.24219日)で太陽の周りを1周する速度(公転速度) で太陽の周りを秒速30kmで公転している。

地球は太陽の周りをほぼ円に近い楕円(だえん)軌道で回っており、計算を簡単にするために、完全な円軌道と仮定する。

地球と太陽との距離は、約1億5,000万kmなので、円軌道1周の長さは1億5,000万(km)×2×3.14=9億4,200万(km)。

1日に進む距離は、9億4,200万(km)÷365(日)=258万(km/日)=時速約10.7万km、秒速30km。

 月の公転速度> 月は地球に対して秒速1kmで公転

 太陽の公転速度> 太陽は、所属する「天の川銀河」内を2億2千万年かけて一周し、秒速8万3700kmで移動している。
 
 地球の一日の時間> 24時間。 地球誕生(45-46億年前)当時は4-5時間と推定されている。もし月が誕生していなかったら、月の引力がないので現在の地球の自転速度は現在 (24時間)よりもっと速く一日は8時間。潮の満ち引きは、太陽の引力だけで引き起こされるので、規模は3分の1になり、進化の場になった干潟の面積は小さくなり、魚が地上に進出するかどうかは疑わしかった。地球の自転が早いために猛烈な風が吹き荒れ、毎日が台風のような環境で生活することになる。
 

 地球の歳差運動> 駒のように回転しているものには自転、公転の他に歳差(さいさ、コマの首振り)運動があり、自転軸を中心にして円を描くような運動をしており、現在の地球は2万5800年で1回円を描くようになっており、この運動によって見えている北極星が時間とともに異なってくることが知られており、この現象は2100年前にすでに発見されていたという。

○地球の重力は、地中では一律とは限らないらしい。

 重力は、巨大な物質質量による引力の結果、生じるものであるが、例えば、エベレストの頂上や、赤道上では地球の自転による遠心力の関係で、重力は少し 小さくなっている。また、地球の中心には巨大な鉄とニッケルの玉(コア)があるとされて おり、(これは岩石型惑星のカケラである隕石の一種として鉄とニッケルの合金である隕鉄が存在することからも推定されている)、地球中心部の質量と、地表からの測定地点の距離までの質量の引っ張り合いの結果、地球中心近くは重力は小さくな っているそう。事実、エベレストなどの巨大な質量が存在するところは、山脈の質量によって、地球内部からの重力が緩和されて、重力は少し小さくなっているという。つまり、理屈で言うと、遠心力のかからない、北極又は南極の 地表付近が一番重力がかかるということになる。

 引力とはお互いが引き合う力の事をいい、木からリンゴが落ちるように見えるのは、リンゴと地球は引力でお互いに引き合っているが、圧倒的に地球の引力 (正確には、地球の巨大な質量によって地球周辺の時空(時空=時間と空間が一体になったもの)が歪んでいる)が強いので、地球に引っ張られて”落ちたように”見えるらしい。天体同士、たとえば地球と月では、重量がどちらも大きいので、お互いに引っ張りあって今の均衡状態となっているらしい。ちなみに地球での物の重量(人なら体重)は、地球の引力から、遠心力を引いた値になっており、同じ人でも遠心力の強い赤道上では体重が軽くなり、北極、南極などの極地では体重は重く観察されるらしい。

○鉄のありがたみ

 一般に鉄(Fe)は、星の爆発にともなう核融合反応において、電子構造的に安定であるために、自然に大量に合成され、宇宙の至る所に存在する。たとえば火星が赤いのは主に三価の鉄酸化物の色。ちなみに二価の鉄酸化物は黒い。

 金属鉄の比重が重いために星が誕生した際は溶けた鉄(及びニッケル)が星の中心部に集まって巨大な金属核を形成し、地球サイズの星では、重力によって大気が宇宙空間に揮発しないで留まったために、地球は月のように太陽が当たる所は+150℃、当たらない場所は-200℃という極端な気温変化を示さず、海が安定して存在し、結果として生物の発生、発展をもたらしたという。また、鉄が磁性を有していることで地球は大きな磁石として作用し、磁極があり、太陽からの太陽風(プラズマ)の直撃を遮蔽しているという。(北極と南極で太陽風が大気とぶつかるとオーロラになる)

 SFで、実は地球の中心部には大きな空洞があって、もう一つの世界が存在するというのがあるが、仮に巨大な空洞があるとすると、上記のように、重力で地球表面に大気をとどめることが出来ずに、理屈としては空気のない月のような状態となるが、実際はそうなっていないので、地球中心部には巨大な空間はないということになる。

 宇宙の始まりとされるビックバン直後は、水素やヘリウムといった軽い元素ばかりであり、これらが莫大にあると太陽のような恒星は出来るものの、水(H2O)が出来るための酸素や、生体を構成するためのリン、炭素、窒素が生成されていないために、生命が誕生するためには、恒星の爆発による核融合反応が何回も起こって(140億年?かかった)各種元素の生成が必要であった。

 地球の中心にあるという金属鉄とニッケルの巨大な金属球(コア)によって発生する強力な重力によって、大気、海が存在し、重力によって無機物が沈殿し、(無重力では、そもそも沈殿現象自体ない。)海底のマグマ噴火口付近で無機物のゴッタ煮状態、スープ状態が何億年も続いた中で、無機物が反応して有機物になり、有機物が生物に変化したと考えられている。

 人間などの脊椎動物の血はヘモグロビンで鉄を介して酸素を運ぶために赤いが、タコやエビなどの軟体動物の血はヘモシアニンといって銅を介して酸素を運ぶために、酸素を含んだ状態は青く、軟体動物が死んで酸素が供給されない状態では血液は透明になっているという。よって、生きたタコ、エビをさばくと青い血がみられるハズだそうだ。そういえば、虫も赤い血を出しているのを見たことないような気もする。。。青い血なのか。

 宇宙空間には、星が爆発した際の金属核のカケラが隕鉄(鉄とニッケルの合金)として漂っており、酸化鉄の還元技術がなかった古代には、隕鉄を加工して武器を作っていたらしい。ちなみに古代エジプトのツタンカーメン王(3500年前)の副葬品として錆びていない鉄製の剣が発見されており、それ以前から鉄製製品は存在していたらしい。

●隕石から分かる地球の内部

 宇宙由来の隕石には、大きく分けて「酸化物の隕石」、「鉄+ニッケルからなる金属製の隕鉄(いんてつ)」、「隕石+隕鉄が均等に混じったパラサイトと呼ばれる石 (酸化物と金属では比重が違いすぎるので重力の大きい地球では、金属と酸化物が均等に混じったものを生成することは困難)」がある。

 隕石が、地球のような岩石型惑星の爆発したカケラと仮定すると、隕鉄(鉄とニッケルの合金)から地球の中心に鉄とニッケルの巨大な玉があること、隕石から地球に玄武岩(マグマが固まった溶岩)+カンラン石(宝石名でいうとペリドット)からなるマントル層 (マントルが溶けたものがマグマでマントル層はほとんど固体!)があること、隕石と隕鉄が混じったものから、両者の混合領域があることが類推できる。 マントルはカンラン石(宝石名 ペリドット)で出来ているとされ、これの一部が溶けるとマグマになり、噴火などで急に冷却されると黒い玄武岩と呼ばれ、ゆっくり冷えると「はんれい岩」と呼ばれる石になる。マグマが少しづつ冷えると「かんらん石」「斜長石」が析出し、次に輝石、角閃石、黒雲母が析出し、残りがカリ長石、石英となる。

 また、巨大な隕石が地球に衝突すると、地上で核爆発が起こったと同じような状態になり、高熱で周囲の砂が溶けてモルダバイト(モルダウ川周辺で採れたからモルダバイト、緑色)やリベリアンデザートグラス(リビヤ郊外の砂漠でとれる黄色のガラス、別名、ツタンカーメンのガラス)といった石英ガラスが出来るので、これから昔、巨大隕石が地球に落下したことが分かる。

 月がクレーターだらけなのは、大気がほとんどないために、宇宙空間から隕石が高速で何度も直撃し、風も吹かないので、そのままの形状で何百年、何千年、何万年も残っているから。 隕石売り場に行くと、ウィドマン・シュテッテン( Widmanstatten )構造の見られる隕鉄が売られているが、あれは、「宇宙空間で100万年に1-3℃の割合で冷却される」ことによって、ニッケルの多い組成と少ない組成に分かれるからで、ここにも宇宙のスケールの大きさが現れている。 地球落下に際して条件が良かった隕鉄に関しては隕石売り場で販売されているようなスライス片ではなくても、隕鉄の外部からウイドマンシュテッテン構造特有の格子模様が観察出来る。

○< オーロラ >

 オーロラは高度100-500km上空に現れる太陽から来る粒子が大気中の元素と衝突することによって発光する。北極や南極あたりでよく見られるのは、地球自体が磁石となっており、S極、N極に太陽からの粒子を集めるため。高度200km以上では酸素の割合が多いために赤く光り、200km以下では緑色に光る。それ以下の高度100km程度では窒素の割合が多いことから紫色に光っている。よって、虹のように、上空から赤、緑、紫に同時に光っている。日本など緯度の低いところから、オーロラが見える場合は、オーロラの上の方だけしか見えないので、赤いオーロラしか見えないとの事で、過去には赤道に近いキューバでもオーロラが観察された事もある。

○< 地球が海ばかりで、陸地がなければ、今頃、恐竜も人間もいなかった >

 地球は地表の約7割が海に覆われているが、地球の全重量からすると、0.02%しかないという。海水が多すぎると、海の深さが数十km-数百kmとなり、陸地の無い世界になって、たとえ生命が生まれていても、そもそも陸地がないので、進化は魚どまりだったという。今の地球の海の深さは数kmであり、太陽系外に、たとえ海の星があっても海だけだと進化は魚どまりであろう。

 

2.1 太陽のトリビア

 地球には太陽が発する光の22億分の1しか届いていない。太陽は、ほとんど80%水素と20%ヘリウムで出来ており、とても大きくて重いから水素ガスが揮発せずに星の形をなし、中心部は2400億気圧 、1500万℃になっているとされ、この状態では金属水素が存在すると考えられている。このような状態では毎秒400万トンの水素が核融合してヘリウムが生成して、その際に膨大な熱と光が発生している。太陽程度の重量の恒星では、水素がなくなったらヘリウムが核融合を起こし、炭素や酸素が出来て核融合反応は終了するらしく、身の回りの炭素や酸素は太陽起源のものもあると考えられている。寿命は100億年で、現在は46億年経過し、太陽光は8分かかって地球に到達しており、つまり8分前の姿を見ている。仮にジェット機で行けるとしたら片道21年かかり、月までは20日かかる距離にある。太陽も自転しており、ガスの塊なので、北極と南極は35日間、赤道辺りは25日間で一周している。単純にいうと1ヶ月で1回自転している。太陽表面に現れる黒点は、地球一個分の大きさがあり、磁石でいうSかN極になっており、磁石と同じようにS極の黒点とN極の黒点は引き合うし、同じ極同士は反発しあう。ちなみに、アインシュタインの重力場では空間が曲がっているという予言は、太陽という巨大な重力を有する天体の観測時に証明された。太陽から遠ざかるにつれて、太陽光は弱くなるので、地球から外側の惑星(木星以遠)にいく探査機は、太陽光パネルは作動せず、原子力電池を搭載し熱電素子によって発電している。

 有名なガリレオ・ガリレイは、望遠鏡が発明された頃に自作で天体望遠鏡を作製し、独自に太陽の黒点を観察したが、当時は強力な太陽光線の害について知られておらず、長年、直接太陽光を見続けたために、極度に視力が低下し、晩年には両目とも失明した。

< 天文学的数字 >

< 宇宙の銀河の数、惑星の数 >  太陽が属している「天の川銀河」には太陽が約2000億個あり、単純にいうと太陽系が2000億あるといってよい。また、数十億から数千億の太陽系を有する「銀河が1000億個以上ある 」という。一つの太陽系には10ぐらいの地球などの惑星があるので、宇宙の惑星の数は太陽2000億X銀河1000億X惑星10個=2京個の惑星 (月などの衛星を含めると、この数倍の数)があるということになる。

< 天の川銀河において、生命が存在可能な地球型惑星の存在する位置 =銀河系のハビタブルゾーン >  天の川銀河でも、中心部は”中心部にあるというブラックホール”に近いので宇宙放射線量が高くて、たとえ地球型岩石惑星が存在しても生命の住める環境ではない。  一方、銀河の外周部は星の構成元素に金属の割合が少ないので、岩石型惑星の存在は少ないと予想されている。よって、【地球型惑星が存在するのは、天の川銀河において我々の太陽系の位置する辺りのみ】であるという。

< 太陽系における地球型岩石惑星&水が存在できる領域=太陽系のハビタブルゾーン >  太陽系では、木星以降はガスが主成分の惑星となり、岩石型の惑星は水星~火星ぐらいまで。かつ、太陽に近すぎると惑星の表面温度が高すぎるので、水が液体で長期間存在出来るのは地球ぐらいの距離の星。

< 宇宙における人間が住んでいる星の数の試算 400億個? >  最近の観測結果では、各太陽系の20%程度に地球型の岩石タイプの星があるとされており、太陽2000億個X0.2X銀河1000億個=400兆個の地球 型惑星があるという計算になる。400兆個の地球候補のうち、銀河1000億個の10%に、宇宙放射線が少なくて生命体が存在できる可能性がある(銀河系のハピタブルゾーン条件)とすると40兆個。さらに、水が液体として存在する可能性(太陽系のハピタブルゾーン条件)が10%と仮定すると、4兆個。そのうち、陸が存在する確率(=生命が魚以上に進化するということ)が10%と仮定すると、4000億個。生命が人間まで進化する確率を10%と仮定すると、人間が存在する地球型の星は400億個程度はあると計算される。ただし、今の人間の技術では、我々の太陽系を出るのに片道40年ぐらいかかるのが現実であ り、宇宙に人間は多くいるが、互いに行き来出来ないというのが現実だろう。

恒星> 太陽のように自ら光っている星、夜空で光っているものはほとんど恒星。月は太陽光を反射していて、夜になると目立つだけである。太陽の次に近い恒星(ケンタウルス座のアルファ星は40兆キロ以上離れていて、光の速度で行っても4年以上かか り、北極星までは430年、一番遠い銀河には光のスピードで138億年かかる 。光のスピードで一年間に進む距離=1光年は、新幹線で行くと360万年、ロケットで行くと2万7千年かかる)

銀河> 太陽のような恒星が集まったもの

惑星>太陽のような恒星の周囲を公転している天体、星

衛星>月のように惑星の周りを公転している物体。人工物は人工衛星で宇宙ステーションも、スペースシャトルと衛星。

小惑星> 隕石、隕鉄のように岩の塊、小惑星のカケラが隕石、隕鉄

彗星(すい星、ほうき星、コメット)> 宇宙空間にただよう氷(汚れた雪だるま)の塊、彗星のカケラが流れ星。 彗(すい)という漢字は、ほうきという意味で、形が掃除道具の「ほうき」に似ているので。


2.2 旧ソ連のロケット情報

 ロシア語で、ミールは平和、サリュートは礼砲、花火、ズベズダは星、スプートニクは衛星、ソユーズは「団結、結合、同盟」、ブランは吹雪(単発的な猛吹雪)、クバントは量子、ボストークは東、ボスホートは「日の出」を意味する。


2.3 火星探査、マーズローバー

 火星探査は、火星を通過する探査機、火星の上空を回る探査機、火星に着陸して動かないもの、火星上を動き回って探査するもの(探査車)がある。Wikipediaのキーワードで「火星探査」「火星探査機」、「マーズ・ローバー」で検索すると詳しく載っている。「火星探査機」のキーワードが一番分かりやすいかも。

 火星までは 地球との軌道の関係で、約2年ごとに最短で行くことが出来る機会が発生し、最短では片道約4ヶ月かかる。人間が片道4か月かけて火星に行った場合、地球に帰還するには、地球との軌道の関係で、次の機会が巡ってくるまで、最低でも1年8か月は火星に滞在しなければならず、帰りにも4か月かかるので、合計で2年4か月は最低でもかかる。

 人類は下図の火星探査機【キュリオシティ】のような軽自動車クラスのロボットを正確に火星の特定の場所に送る技術、通信、制御する技術を有している。これぐらい精緻なロボットが作れるなら、危険を冒して人間が火星に行く必要はないかも。過去の反省を生かして太陽電池は使用せず原子力電池 (おしりの黄色い部分)を搭載しており、地球に戻ることはないので、今後、火星の砂に埋まるまで何百年も火星上に留まることになる。総額予算は23億ドル、日本円にして実効レートにすると5000億円ぐらいのプロジェクト。 火星の重力は、地球の3分の1であり、地球より重力が小さいので、重力による【星を丸くしようとする力】が小さく、山にかかる重力が少ないので、エベレストの3倍の標高(24km)を有するオリンポス山などが存在するという。


2.4 宇宙航行法

○地球から月へ行く方法

 地球の上空で水平方向に秒速8kmの速度を与えると、ロケットは円軌道を描いて地球のまわりを回りはじめる。これが人工衛星である。初速度が8kmを超えると軌道は細長い楕円になる。初速度を秒速10kmにすると地球から38万km離れた月のあたりを回ってくる楕円を描くようになる。これが月ロケットの軌道である。秒速10kmで飛び出したロケットも、地球を離れるにつれて地球の引力に引っ張られて速度が低下し、打ち上げから2日半ほどして月の周回軌道に到着することには秒速170mほどになっている。月の周回軌道あたりになるとロケットは月の引力を受けて加速されるので、逆噴射で速度を調節し、月の回りをまわる孫衛星軌道に乗る。そこで、さらに速度をゆるめると月面着陸となる。<引用元 世界の博物館 ワシントン航空宇宙博物館 > 

 実際には地球も動いており、月も動いており、いい加減に打ち上げると、月を通り過ぎたり、到達することが出来ない可能性があるために、厳密にこれらの位置、軌道、ルートを確認した上で、打ち上げ時間、ロケット噴射時間が決定された。

○ホーマン軌道(Hohmann orbit)、ホーマン遷移軌道(Hohmann transfer orbit

○スイング・バイ(swing-by)、重力アシスト((gravity assist

○バン・アレン帯、(ヴァン・アレン帯、Van Allen radiation belt

 地球の地場に捕らえられた陽子、電子からなる放射線の高い領域。磁場を有する惑星の外側にはだいたい存在する。当所は、放射線量が高いので人間はこの領域を通過することは出来ないと考えられたが、通過時間が短いこと、放射線対策を施せば大丈夫であることが実証された。オーロラはバンアレン帯からの粒子が大気中の酸素分子、窒素分子と衝突した際に発光する現象。

〇地球の大きさをリンゴに例えると、大気層はリンゴの皮以下、宇宙ステーションは3mm上空、月は3m先を回っている。

 地球をリンゴの大きさ(約10cm)と仮定すると、大気の厚みはリンゴの皮以下(0.08ミリメートル)で、この大気層が、宇宙からの紫外線をカットするとともに、地球内部からの熱、太陽光由来の熱の宇宙空間への放出を抑えているらしい。ちなみに宇宙ステーションはリンゴ表面の3ミリメートル上空を周回しているだけで、月はリンゴの約3m先を周回していることになり、このことからも「アポロ計画で月に人間が行った(どれだけ遠くまで行ったか)」という事実がいかに偉業かということが分かる。

 実際問題として、光の速度でいうと、月までは片道1秒、太陽までは8分、火星は最も地球に近くにあると片道4分、地球と最も反対位置(太陽の向こうにいるから)にいると片道20分かかり、人類が作り出した人工物として最も遠くにいる惑星探査機ボイジャーは現在太陽系を脱出しつつあり、光のスピードで17時間かかる場所(太陽系の端まで35年かけて行った。)にいる。

○地球から他の星まで行くのにかかる日数。♪

 手元の本によると、アポロ宇宙船は時速3.8万キロ( マッハ32 )で月に片道3日かかって行ったそうである。地球と月の最短距離を、このスピードで単純に割ると10時間で行けるということになる。実際には、マッハ32まで加速し、月の手前で減速するために時間がかかるので、12-14時間かかるかも。

 この計算で行くと、すぐ隣の惑星である火星までは85日(NASAの計画では実際に行くとすれば片道9ヶ月、往復で2年かかる予定)、太陽まで5.5ヶ月、木星までは2年、海王星まで13年、冥王星まで17.3年(60億キロメートル)、つまり、人間が太陽系を脱出するのには短距離で約20年はかかるということ。ただ、実際には、惑星探査機ボイジャーは34年かかって太陽の影響の及ばない領域に到達しているそうだ。

 また、最も近い隣の太陽系までは4.2光年(光のスピードで4.2年かかる)離れているので、計算ではアポロ宇宙船では12万年!かかり、今も夜空に明るく光っている星ベガは25光年離れているので、計算では片道71万年かかる!ぐらい離れている。

 もっとも近くの地球型惑星は、20光年先にあるそうで、仮に光の99.9%のスピードが出せる宇宙船が出来たとすると、地球時間では片道20数年で行くことが出来るが、相対性理論によると宇宙船内の宇宙飛行士は、約5か月しか年をとらず、地球に戻った時には、10か月しか年をとっていないそう。しかし、地球では40数年たっているそう。また、宇宙船が光速近くで移動すると、宇宙空間にある水素ガスに、ほぼ光速で衝突することになって、水素が放射性物質に変化し、宇宙飛行士が被爆するという問題がある。しかし、それ以前に、宇宙船を光速近くまで加速するのに時間がかかる&減速するのにも時間がかかる&途中で少しでも進路変更すれば膨大な遠心力がかかるというところが問題かもしれない。

参考> 1光年=9兆4600億キロメートル

 もし、人間並みの技術を持った宇宙人が隣の太陽系にいたと仮定すると、片道12万年かけて地球にやってくる意味はあるのでしょうか? まともな知識を持った宇宙人ならやってこないかも。1896年にイタリアのマルコーニが電磁波を使って無線通信に成功しているので、理論的にはこの電波が116光年先に届いており(=地球に知的生命体がいるということを知らせている)、ここの宇宙人から返事がくれば西暦2128年には返事がとどくかも。

○宇宙人は存在するが、地球には来ないと思う理由。

 最近、秋葉原のブックオフで購入した本「コスモス 果てしない宇宙に向かって」という本によると、地球から、地球の属する銀河系の中心までは、約3万光年(光のスピードで3万年かかる)の距離があるそうである。仮に、近い将来、技術が進んで、光のスピードを出せる宇宙船を作れたとすると、銀河の中心までは、地球時間では、たしかに片道3万年かかるが、乗員は「相対性理論」によって21年しか年を取らないのは事実らしい。よって、理論的には20才の青年が、片道21年(41才)かけて銀河の中心に行って、1年ぐらい観光して(42才)、また21年かかって63才の時に地球に帰る事は可能らしい。

 ただし、ここからが問題点である。まず、人間が光速まで加速するのにゆっくりと時間をかけないと加速度に耐えられないことである。スペースシャトルでは最高3G(体重の3倍の力)ぐらいかかり、アポロ宇宙船では最高で何分か7Gかかったらしいが、光速までゆっくり加速していっても、何ヶ月ぐらい?はずっと3Gぐらいは体にかかり続けるだろう。また、止まる時もゆっくりと減速する必要があり、これは動いているジェットコースターの中で1年ぐらい生活しろというのに等しい。次に、光速に加速できたとしても、目的地に着くために、ほんの少しでも軌道修正したら、物凄い遠心力がかかって、これも人間を苦しめることである。これはジェット戦闘機で高速で曲がった際に、パイロットに大きなGがかかることからも容易に推測できるだろう。さらに、いくら宇宙が広いからといっても、途中には何千万もの太陽、惑星、隕石がうようよして、しかも動いている! これらを上手に避けながら光速で目的地まで行くことは可能だろうか。

運よく往復42年かけて地球に帰ってきても、地球では6万年経っており、その頃には人類が絶滅している可能性もある。これでは、「何のために銀河の中心に行くのか」という意義さえ疑われる。これらの事情は、人間に限らず、宇宙人も、この大自然のルールに従うハズであり、これらの問題を解決しない限り、地球にこないだろう。また、最近では地球によく似た星はいくつも見つかっているので、わざわざ地球に来る意味はあるのだろうか。

●今さら?話題の小惑星探査機「はやぶさ」技術のすごさ

○地球外の岩石を人工的に持ち帰ったのは、アポロ計画で宇宙飛行士が月から岩を取ってきたのに続いて2度目。

○試料を入れる容器の大きさは餃子2個分。

○小惑星「イトカワ」の大きさは東京スカイツリー程度。火星の外側を回っている、光でも片道16分かかる距離にある(動いている)東京スカイツリー大の大きさの惑星に遠隔操作(ラジコン操作 16分遅れで動くラジコン)で近づいて、岩を取って戻ってきたということ。

○衛星本体は地球重量では510kgあるのに対して、メイン推進エンジンであるイオンエンジンの推進力はたったの1g。宇宙では無重力状態なので、1gの推進力でも、うまく働かせれば、高速が作りだせて火星の外まで行って帰ってこれるらしい。

○「はやぶさ」の電波出力はタクシー無線程度であり、イトカワ付近では地球に届くのは「出力電波を1億で割った値を、さらに1億で割った程度の出力」であり、地球では直径64mの電波望遠鏡を通じて3億kmの距離を電波で片道16分かけて指令を送っていたらしい。

〇月よりも遠い所に行く場合は、火星、木星、土星といった重力場の影響を受けて引き寄せられるので目的の惑星に飛行できない(千鳥足の航路)難しさがある。

○ものすごいスピードで大気圏に突入するので、パラシュート分離のタイミングが1秒でもずれたら、着地目標から大きく逸脱して海などに落下し、サンプルケースを回収できない可能性があった。

○火星で調査している無人探査機”キュリオシティ”は軽自動車並みの重量があり、地球から片道4ヶ月かかる火星の表面に、軽自動車なみの物を正確に、安全に運ぶ技術をNASAは有している。

●「惑星(わくせい)」という言葉は、夜空で星が行ったり来たり迷っているように見えたところからついた。

 地球を含めた惑星という名前は、昔、天動説が主流の頃、天体観測すると火星や木星などが行ったり来たりして戸惑っているように見えたので、惑星とつけたらしい。

●月の表面の黒い部分は、巨大クレーター内にマグマが流れ出て固まった跡。

 月の写真をよく見ると表面が黒と白色になっており、黒い部分もよく見ると黒丸がつらなった形をしている。これは、月の形成時に、巨大な隕石が衝突してクレーターが出来た際に、月内部のカンラン石((Mg, Fe)2SiO4, 宝石名 ペリドット)が主成分のマントル層(マントルは固体)が溶けたマグマ(溶岩)となって噴出し、カンラン石が黒い玄武岩と斜長石(宝石名 ラブラドライト)に変質して冷却されたから。玄武岩が黒いのは2価の鉄イオンの影響。カンラン石が緑色なのはおそらくマグネシウム・イオンの影響。

 岩石型惑星の誕生過程> 過去に爆発した星のカケラであるカンラン石主体の隕石、金属鉄とニッケルから構成される星の核(コア)のカケラである隕鉄が徐々に集まっていくと、重力が加速度的に大きくなり、周辺の大きな隕石を呼び寄せるようになる。大気もない状態で、大きな隕石が高速度で衝突すると地表で巨大な核爆発が連続して起きたのと同じ状態になり、金属鉄は溶けて星の中心部に落下していき、やがて巨大な金属核(コア)を作るようになり、比重の軽い成分(カンラン石)はドロドロに溶けた マグマ(溶岩)が冷えてマントル層となり、最表面部分は宇宙空間で冷却されて固まり地殻となる。

地球コース> 地球はたまたま太陽から適度に離れた位置に形成したために、水星のように暑くもなく、火星のように寒くもなく、生物が住めるようなちょうどいい温度となった。マントル層からは、水蒸気や各種ガスが発生したが、地球は大きいために重力が強く、これらのガス(この時は酸素ガスはほとんどない)は地表に溜まった。地表に大気が存在し、地殻が冷えてくると、水蒸気が雨になり、雨が3000年間降って海が出来た。その後、地殻からミネラル分が溶け出して、海水は塩水となり、海水と海底火山の熱、有機成分、ミネラル成分が交じり合って原始的な生物が誕生し、これらが光合成を行うことによって、大気中の二酸化炭素から酸素を作り出し、大気中に酸素が充満した。酸素は大気上面でオゾン層を形成し、太陽からの有害な紫外線が地表に届かないようになった。紫外線が遮蔽されると生き物は地上に出られるようになって、その後、地上で動物が繁栄するようになった。

月コース> 月は重力が小さいので、マントル層からのガスを留めることが出来ずに宇宙空間に揮発した。よって、月には高速で隕石が落下し、現在のようにクレーターだらけになった。また月面では風も海もないので、これらの石は風化もせず、長年の隕石の落下によって角ばった微細な粒子となり、強烈な太陽光線を反射して白く輝いているように見える。月は太陽光をさえぎる大気がないので、月の一日(地球時間で言うと27.3日、地球は24時間)では、最高気温123℃、最低気温-233℃となり、平均気温は-23℃となり、アポロ計画では月の温度がちょうどいい時期を狙って月面に上陸した。

●宇宙空間から見ると地球上の人間はマッハ1.36で回転している。

>高度36000kmの上空にある静止衛星の速度の計算

高度36000km上空を地球一周する時の衛星の軌道距離の計算>(高度36000km+地球の赤道の半径 6378km)x2x3.14=266134km

266134km/24時間=11089km/時間→185km/分 →3km/秒、つまり秒速3km(時速1万1000km、マッハで表現するとマッハ9程度)

>地表における人間の回転速度の計算

地球赤道半径6378kmx2x3.14=40054km →地球1周の距離

40054/24時間=1669km/時間 →463m/秒(時速1669km、マッハ1.36)

●今の北極星と古代の北極星では、、、違う星のことを意味している。

 北極星は、北極上空に輝く明るい星を意味しており、その周囲を星が回っているように見えて、北極星自体は動かないように見えるので、昔から航海や旅行の目印になってきた。しかし、時間の経過にともなう地球の回転軸の揺らぎ(歳差運動)によって、昔と比較すると北極上空の延長線がずれてきており、約4000年前のクフ王のピラミッドが建造された時代の北極星は、「りゅう座アルファ星」だった。しかし、時間の経過にともなって地球の回転軸がゆらいだ結果、現在は「こぐま座アルファ星」が北極星とされている。

 ちなみに、中国の故宮博物院は、昔は紫禁城と呼ばれており、天帝が住んでいる星とされる北極星を紫微星(しびせい)、北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣(しびえん)と呼んだのに由来する「紫宮」、及び「天帝の命を受けて世界秩序の維持に責任を持つ皇帝」の住居たる「禁城」(禁という漢字は、特別な人以外は出入りを許されない場所。宮中。という意味もある)の二語をあわせて「紫禁城」と呼んだことに由来する。つまり、紫禁城とは世界の中心を地上に再現した領域であり、天帝にかわって地上を治める皇帝の住む宮殿として建設された。

カーナビと相対性理論の関係

 GPS衛星は秒速4kmで地球を回っているので、特殊相対性理論「光速に近づくとその空間の時間の進みが遅れる」によって衛星内の時間は1日あたり0.0000071秒だけ地上の時計より遅くなる。一方、重力のほとんどない宇宙空間を飛行しているGPS衛星は一般相対性理論「重力の強い所ではその空間の時間が遅れる」によって衛星の時計は1日あたり0.0000457速く進む。よって差し引き1日あたり進む分0.0000457-遅れる分0.0000071秒=0.0000386秒だけ速く進む。これは100年で衛星時計が1.4秒速く進む程度。よって、このままでは地上の位置情報に大きなズレが生じるので、衛星では、この0.0000386秒を補正して時間情報を発信しているそう。

日曜日、月曜日、火曜日などの曜日は、惑星 (太陽の周りを回る星)の名前から命名されたらしい

 日曜日は太陽の日、月曜日は月、火曜日は火星、水曜日は水星、木曜日は木星、金曜日は金星、土曜日は土星。英語では、日曜日はSun+day,月曜日はMon(Moon)+day、火曜日はTuesdayでtyr+dayでTyrは火星Marsと同じ意味を持つ北欧の戦争の神様の名前、水曜日はWednesdayでMercury(水星)は北欧の神様Wodenと同じ商業の神様と同じということからWednes+day、木曜日はThursdayで北欧神話のThor(トール)が語源でジュピター(木星の意味も)も雷の神様ということでThurs+day、金曜日はFridayでFreija(フレイヤ)は、北欧の愛の神。金星は、ヴィーナスといって愛の神様なのでFreija+dayでFridayになった。土曜はSaturdayで、 Saturn(サターン(土星もサターン))が語源でSaturn+day。

○地球、月が、何の原動力もなしに何十億年も動き続けられる(自転、公転)出来る理由

 地球は誕生以来、47億年も毎日、自転するとともに太陽の周りを1年かけて公転している。 この動くエネルギーはどこから来ているのか? ネットで調べると、太陽の重力に引っ張られて地球が太陽の周りを回りだした時のスピードと、 公転にともなう遠心力の関係で、現在の軌道が定まり、宇宙空間はほとんど真空状態なので、公転エネルギーを消耗せず、慣性の法則にしたがって、ずっと何十億年も回り続けるいるのだそう。

 人工衛星もスペースシャトルも、実際には地球の重力の影響下にある所を飛行して自由落下しているが、 早い飛行速度(一秒に8km移動する速度、秒速8km)による遠心力でつりあっていることから、無重量(無重力ではない)状態であり、空気抵抗のない所を回るので、スピードが落ちずに、ずっと公転しつづけているという。 ちなみに、スペースシャトルが地球に帰還する際は、進行方向とは逆方向に逆噴射することによって飛行速度を減少することによって遠心力を減らすことによって自由落下を開始するということをしている。このように軌道上では飛行スピードが大事なので、時々、飛行スピードを維持するために姿勢制御用エンジンを作動させていた。

 地上でボールを投げるとすぐに落下するが、早いスピードで投げると遠くまで飛ぶ。これをものすごいスピード(秒速8km以上)で投げるとついには地球を一周するようになり、この速度を維持できるならば(空気抵抗が無視できる宇宙空間ならば)重力と遠心力がつりあって地上には落下しないという理屈らしい。

ちなみに、航空機の中で無重力(正確には無重量空間)空間を作り出して、遊んでいる映像があるが、あれは、飛行機が自由落下しながらの映像ではなく、急上昇した後に、水平飛行に移った際(ジェットコースターでふわっと浮き上がった状態と同じ)に無重力状態を作り出しているらしい。

 地球の自転に関しては、月の公転が潮の満ち引きに影響を及ぼしているので、地球の自転速度は遅くなり、地球誕生時は一日8時間だったのに、現在の24時間になっているそう。 ちなみに、太陽も天の河銀河にある2000億個の恒星(太陽)の一つとして、銀河内を公転しているそう。地球の自転、公転とは関係ないが、時計が右回りなのは、日時計が原理的に右回り(太陽は東から南を回って、西に沈むと、日時計の針は、右回りに動く。)に針が動くから、その名残で時計は右回りになっているそう。

2.5 惑星探査(パイオニア、ボイジャー、カッシーニ)

 人類が作り出した人工物として最も遠くにいる惑星探査機ボイジャーは現在、太陽系を脱出し、光のスピードで17時間かかる場所(太陽系の端まで35年かけて行った。 ちなみに、地球から月までは光で片道1秒、太陽までは約8分の距離)におり、時速約6万km(マッハ50-60)で飛行中。これは指令を出して、返事が来るのには、電波で34時間(片道17時間)かかる距離。地球よりも外側に 行く惑星探査機は、太陽光が弱くなるために、太陽光パネルは搭載せず、原子力電池を搭載して核分裂による熱を電力に変換して使用している。 よって、理論的には、原子力電池が消耗するまで、数十年は電力を維持可能である。

< 惑星探査機ボイジャーの次に遠いところ(太陽系の外)を飛行中のパイオニア10号に搭載された”宇宙人に宛てたメッセージ” >

 下図は、1972年に打ち上げられた惑星探査機パイオニア10号に搭載された宇宙人に宛てたメッセージ。惑星探査機ボイジャーに抜かれたが、それまでは人間が作った物体で、”地球から最も遠いところに行った機械”であり、40年かけて太陽系(冥王星を通過した)を出た。順調にいけば170-200万年後に、53光年離れた恒星(太陽系) アルデバランに到着すると想定されており、人類が絶滅した後に、”人間が存在した証拠”の一つとなると予想されている。この金属板を搭載することについては、宇宙人に地球人の存在を知らせて地球侵略の原因になると議論されたが、人類は100年ぐらい前から電波を利用しており、理屈では電波が100光年先の宇宙空間(太陽系の直径の16.6万倍の距離)に届いているので、金属板の有害性はないということになった。


2.6 宇宙開発のおおまかな歴史年表

紀元前 380年 古代ギリシャ アリストテレス 天動説に言及

紀元前3世紀(2300年前) 古代ギリシャ アリスタルコス 太陽系モデル(太陽の周りを地球が回っている)を提案。

1500年頃 ポーランド コペルニクス(ドイツ人)が地動説を主張(教会との関係から、主著「天体の回転について」の死後に出版)

1650年頃 イタリア ガリレオ・ガリレイが44才ぐらいの時、望遠鏡を自作して、人類史上、詳細に星空を観察。土星に輪があること、月の表面がデコボコしていること、太陽に黒点があること、天の川が星(恒星)で出来ていることを発見。ガリレオは太陽を望遠鏡で直接見続けたために、晩年、失明した。地動説を主張したために、教会によって異端審問され、晩年は軟禁されたが、軟禁中の活動によって後世に名前を残す結果となった。ガリレオが亡くなった年に、アイザック・ニュートンが生まれる。

1700年頃 イギリス アイザック・ニュートンは既に現在の静止軌道衛星の理論を考えて著書にて発表済み。物を遠水平に”速く”投げるほど、遠くに落下して、”ある一定のスピード以上になると”地球を一周するということ。 有名なリンゴの落下の件では、重力を発見したのではなく、地球がリンゴを引っ張る力が、天体間(地球と月がお互いに引っ張っている)に働くこと(引力の逆2乗の法則)を発見したといわれる。ちなみに、ニュートンの庭に生えていたリンゴは、小さい実が、たくさん成る種類(品種名ケントの花)であり、随時、ぼとぼとと落下するという。

1857年 ロシア ”宇宙旅行の父” コンスタンチン・チオルコフスキー誕生

1865年 フランス SF作家 ジュール・ベルヌ 「地球から月へ」出版(後世のロケット研究者は、これに大きく触発された)

1882年 米国 ”近代ロケットの父” ロバート・ゴダード 誕生

1894年 ハンガリー ”ドイツ一のロケット学者 宇宙旅行啓蒙の第一人者” ヘルマン・オーベルト誕生( 宇宙旅行協会設立、若きフォン・ブラウンも参加していた)

1903年 米国オハイオ州のライト兄弟 世界初の動力飛行に成功

1907年 ソ連 ロケット開発者 セルゲイ・コロリョフ 誕生

1912年 ドイツ ロケット開発者 フォン・ブラウン 誕生

1915年 米国国立航空諮問委員会(NACA)設立(NASAの前身組織)

1926年3月 米国 ロバート・ゴダード 人類最初の液体燃料ロケットを作製

1935年 ロシア ”宇宙旅行の父” コンスタンチン・チオルコフスキー死去

1942年10月 ドイツ V-2ロケット(ロケット自体が自分で判断して大陸間飛行する)初飛行

1945年5月 ドイツ降伏 フォン・ブラウン 米国に亡命

1945年8月 ゴダード死去

1947年10月 アメリカ チャック・イエーガー X-1ロケット機で人類で初めて音速以上のスピードを出す(公式記録)

1955年4月 東京大学 糸川教授 東京 国分寺(現在 早稲田実業学校)でペンシルロケット発射実験

1957年10月 ソ連 スプートニク1号打ち上げ(スプートニク・ショック)、人類史上初の人工衛星、人工物が地球から出た。スプートニクとはロシア語で”衛星”という意味。ちなみに、人間が月に上陸したのは1969年で、スプートニクから、わずか12年後。

1957年11月 ソ連 スプートニク2号で、生物史上、初めてライカ犬のクドリャーフカ(小さい巻き毛の雌という意味)という名前のメス犬が宇宙空間に出るが飛行中に死亡。

1958年 米国航空宇宙局(NASA)設立

1959年9月 ソ連 ルーニック2(無人ロケット、ルナ2号)が人類史上はじめて月に到着する。実際に月に人工物を行かせることが出来た。

   10月 ソ連 ルナ3号が人類史上はじめて月の裏側を撮影して、人類がはじめて月の裏側を見る。

1961年4月12日 ソ連 ユーリ・ガガーリン(1934年生まれ、27才の時)世界初の有人宇宙飛行(飛行時間は108分で地球1週した)に成功 。人類初めて宇宙空間に出た。(ちなみに、人間が月に上陸したのは1969年で、ガガーリンから、わずか8年後。)

1961年5月5日 マーキュリー計画(この事実を映画にしたのが映画「ライトスタッフ」)でアラン・シェパード(この人は後にアポロ14号で月面に立つ)がアメリカ人として初めて弾道飛行(15分間)する 。人類として2番目に地球から出た

1961年5月25日 ケネディ大統領が有名な演説「今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」を行ない、アポロ計画が国家最優先事項になる。 この時点でアメリカは人間が5分間宇宙空間に出ただけだった。

   (映画「月のひつじ」の特典映像に、本演説の全部が収録。)

1961年7月 アメリカ ガス・グリソム(この人は、後にアポロ1号の火事で犠牲となる)が人類3番目として宇宙に出た。

1961年8月 ソ連 ゲルマン・チトフが人類4番目として宇宙に出た。

1962年2月 マーキュリー計画でジョン・グレンがアメリカ人として初めて軌道飛行(地球3週)する。 人類5番目で宇宙に出る。

1963年 月にアポロ宇宙船を打ち上げたサターン5ロケットの製作開始 (スプートニクショックから5年後)

1963年6月 ソ連 ワレンチナ・テレシコワが26才で、人類史上初の女性として地球を出る。テレシコワはパラシュート降下が趣味の民間人女性だった。

1963年11月 ケネディ大統領 逝去、ジョンソン副大統領が昇格して大統領になる。

1964年4月 アメリカ ジェミニ1号 無人で発射(初の二人乗り宇宙船)

1964年7月 アメリカ レインジャー7号 月面に衝突して人類史上、はじめて月面上に人工物到着

1964年 アメリカ マリナー4号 人類史上はじめて、火星表面まで到達

1965年1月 アメリカ ジェミニ2号 無人で打ち上げ

1965年3月 アメリカ ジェミニ3号 有人ではじめて打ち上げ、ガス・グリソム船長、ジョン・ヤング飛行士  ジョン・ヤングが無断でサンドイッチを持ち込む

1965年3月 ソ連 ボスホート2号にてアレクセイ・レオーノフが、人類で初めて宇宙遊泳(12分間)する。

1965年6月 ジェミニ4号でアメリカ ジェームズ・マクディヴィッド船長、エドワード・ホワイト飛行士 ホワイトが、アメリカ人として初めて宇宙遊泳(21分)する。(人類2番目の宇宙遊泳、この人は後にアポロ1号の火災で犠牲になる)

1965年12月 ジェミニ7号でアメリカ フランク・ボーマン船長、ジム・ラベル飛行士が、月周回のテストとして(イス一つの空間で)14日間過ごす。

1966年 ソ連 ロケット開発者 セルゲイ・コロリョフ死去

1966年2月 アポロ1号> 無人。アポロ指令船と機械船が弾道飛行 アポロ指令船が大気圏突入に耐えるかのテスト

1966年3月 ジェミニ8号でアメリカ ニール・アームストロング船長、デビット・スコット飛行士が、ランデブーの実験を行うがトラブルが発生し、アームストロングの冷静な行動によって、安全に帰還。この件で、アームストロングが後に月面着陸候補者として注目を浴びた。

1966年6月 ジェミニ9-A号でアメリカ トーマス・スタッフォード船長、ユージン・サーナン飛行士 船外活動の練習

1966年7月 アポロ3号> 無人。サターンVの三段ロケットのテスト 2回目だがアポロ3号という名称になっている。

1966年7月 ジェミニ10号でアメリカ ジョン・ヤング船長、マイケル・コリンズ飛行士 ランデブーの練習

1966年8月 アポロ2号> 無人。アポロ宇宙船の制御システムと生命維持システム、熱遮蔽の再チェック

1966年9月 ジェミニ11号でアメリカ チャールズ・コンラッド船長、リチャード・ゴードン飛行士 ランデブーの練習

1966年11月 ジェミニ12号でアメリカ ジム・ラベル船長、エドウィン・オルドリン飛行士 船外活動の練習 オルドリンはNASA最初の水中訓練者

1967年1月 アポロ4号 (アポロ1号とも呼ぶ)> 発射場でのテスト中に、アポロ指令船内の機器のショートによって発火し、宇宙飛行士3人ガス・グリソム、 エド・ホワイト、ロジャー・チャフィー)が逝去。 この中に、人類2番目に宇宙遊泳を行ったホワイトが含まれる。 この事故を記念してアポロ1号クルーと名づけられる。宇宙開発史ではじめての犠牲者。

1967年4月 ソ連 宇宙船ソユーズの運用開始 、ソユーズ1号の飛行士、ウラジミル・コマロフ パラシュートがうまく開かず地上に激突し逝去。人類初の宇宙での犠牲者。

1968年1月 アポロ5号> サターン4ロケットを用いて月着陸船を打ち上げテスト。(無人)

1968年3月 ユーリ・ガガーリン 訓練中の飛行機事故で死亡(享年34才)。

1968年4月 アポロ6号> サターンV (5) ロケットを用いて打ち上げテスト。(無人) 無人のアポロ宇宙船と実物大月着陸船を載せてサターンV(サターン5)ロケットの初飛行。強烈な騒音と振動で、打ち上げ場所から6km離れた場所において天井タイルが剥がれ、ガラスが割れそうな勢いだったそうで、その後、周辺への影響対策が取られた。

     9月 ソ連 ゾンド5号(無人)、11月ゾンド6号(無人)が、月周回飛行から帰還し、人間が物理的に月に行って帰って来られる事を証明。

1968年10月 アポロ7号> ロケット、宇宙船の信頼性確立のために地球を11日間回った。

      12月 アポロ8号> フランク・ボーマン、ジム・ラベルウイリアム・アンダースが、人類で初めて月に到達し、無事に戻ってきた。無人での練習飛行なしで、宇宙を漂う可能性も高かった。

1969年1月 ニクソン大統領誕生

1969年 日本 宇宙開発事業団 設立

1969年3月 アポロ9号> 地球軌道で月着陸船の性能を確認。

1969年5月 アポロ10号> 月着陸の直前まで行って、すべてをテスト

1969年7月 アポロ11号 > 月面着陸に成功(ニール・アームストロング 1930年生まれ、39才) (映画「メンインブラック3」、「月のひつじ」)

この時、使用されたサターンVロケット(全長110m、打ち上げ重量、約3000トン)の開発には、25万人の技術者と、約2000の企業が関わったとされる。 ガガーリンが大気圏外に出てから、たった8年で人類は月に降り立った。

1970年 日本発の人工衛星「おおすみ」打ち上げ

1970年4月 アポロ13号が事故によって、月を周回した後、命からがら地球に帰還(映画「アポロ13」)

1970年 ソ連 ヴェネラ7号が人類史上はじめて金星に着陸

1971年1月 アポロ14号>   手押し式カートを初めて持ち込み、月面で様々な科学分析装置や実験装置を展開、作動させた。月面を初めてカラー撮影を行った。

1971年 ソ連が世界初の宇宙ステーション「サリュート(挨拶という意味)」を打ち上げ

   6月 ソユーズ11号の飛行士3人、地球に帰還中に指令船の空気漏れによって逝去。

1971年7月 アポロ15号>   月面に3日以上滞在し、電動車を持ち込んで、広い範囲で調査を行った。

1972年-1973年   アメリカ パイオニア10号、11号打ち上げ(パイオニア10号、11号には”宇宙人宛の手紙”(カール・セーガン 博士が発案)を搭載)

1972年4月 アポロ16号>  ジョン・ヤングとチャールズ・デューク、月面に電動車を持ち込んで3日間、 27kmドライブして探索(主に月の高地)を行った。

1972年12月 アポロ17号>  最後の月面着陸ではじめて地質学者(ハリソン・シュミット)を連れて行った。 月に行きたいベテラン宇宙飛行士は多くいたが、選ばれた地質学者は訓練中は複雑な心境だったそう。月面を車で探査し、オレンジ色の土を発見した。

1973年5月 アメリカ 宇宙ステーション「スカイラブ(空の研究室という意味)」を打ち上げ

1975年5月 アメリカ バイキング1&2号で人類史上はじめて火星に探査機を着陸させる。

1977年 ロケット開発者 フォン・ブラウン 死去

1977年 アメリカ 惑星探査機 ボイジャー1&2号 打ち上げ

            ボイジャーには宇宙人向けに「地球の音(地球の様々な音を収録)」というレコードが積まれている。

1981年4月 スペースシャトル「コロンビア号」が宇宙へ(STS-1) 、船長はジョン・ヤング、パイロットはボブ・クリッペン

1983年 シャトルではじめて船外活動、アメリカ初の女性宇宙飛行士 サリー・ライドが搭乗、スペースラブ(宇宙実験室)で初実験

1984年 Bruce McCandless II (ブルース・マキャンドレス)さんが、歴史上初めて命綱なしで船外活動(=人間人工衛星になった)(STS-41B)

1986年 ソ連が宇宙ステーション「ミール(平和という意味)」を打ち上げる。ミールにはのべ100人以上の宇宙飛行士が滞在した。

1986年1月 チャレンジャー号の爆発事故(STS-51L)

1988年9月 スペースシャトル飛行再開 ディスカバリー号打ち上げ  

  11月 ソ連版スペースシャトル「ブラン (吹雪という意味)」無人で打ち上げ。

1989年 ”ドイツ一のロケット学者 宇宙旅行啓蒙の第一人者” ヘルマン・オーベルト死去

1989年 探査機ガリレオ 木星に突入 (人類史上初の木星に着陸?)

1990年 ハッブル宇宙望遠鏡の放出(STS-31)

1990年 2月 アメリカ ボイジャー1号  人類史上初めて太陽系の外から太陽系の写真を撮って送信

1990年12月 TBS記者の秋山さんが日本人飛行士としてソ連のソユーズで宇宙に出る。

1992年 毛利さんが日本人としてはじめてスペースシャトルに搭乗(STS-47)

1994年 日本人女性初の向井さんが搭乗(STS-65)

1995年 ロシアの宇宙ステーション ミールとドッキング(STS-71)

1994-5年 ロシアのワレリー・ポリャコフが宇宙ステーション ミールで438日間過ごす

1996年 若田さんが搭乗(STS-72)

1997年 土井さんが搭乗し、日本人として初めて船外活動(STS-87)

1998年 国際宇宙ステーションの建設開始

2000年 国際宇宙ステーションに宇宙飛行士が常駐開始

2001年 デニス・チトーが世界で初めて宇宙観光で宇宙ステーションに滞在

2003年 コロンビア号の空中分解事故(STS-107)

2003年 マーズローバー スピリットとオポチュニティが火星を走り回る

2005年 野口さんが搭乗(STS-114)

2008年 星出さんが搭乗(STS-124)

2010年 山崎さんが搭乗(STS-131)

2011年 アトランティスが最終飛行し(STS-135)、スペースシャトル計画が終了

2012年 人類で最初に月面に立った人間 ニール・アームストロングが亡くなる(享年82才)

2012年8月25日ごろ アメリカ ボイジャー1号 人類史上 、人工物として、はじめて太陽系を出たと推定されている

      太陽から190億キロメートル先を、時速約6万(マッハ50-60)キロメートルで飛行中。

29.6万年後 アメリカ ボイジャー2号 恒星(=別の太陽) シリウスに到着

2.7 宇宙飛行士、NASA、JAXA( NASDA )関係

2.8 宇宙飛行士関係

 NASA宇宙飛行士の所属は軍とNASAに別れ、給与は軍人の場合は軍の規定に従う。一方、NASA所属の場合は、国家公務員の規定に従って支払われ、年収は340690万円程度、日本人宇宙飛行士は、だいたい年収600-800万円であり、シャトルの搭乗が決まる~搭乗後までは特別手当てがついて年収1000万円を超えるといわれる。

 初期の日本人宇宙飛行士のように、外科医、大学助教授などの前職を捨てて宇宙飛行士になった場合は、大幅に年収がダウンし 、多数の宇宙飛行士が存在する現代では元宇宙飛行士というだけで老後は悠々自適とは行かなくなりつつある。

 宇宙飛行士は、NASA、軍の職員=公務員なので、宇宙行く時も「宇宙へ出張」となっていた。その出張手当てはアポロ計画当時で1日3ドルだったらしい(今で言うと2000円ぐらい?)。また、月から帰還してハワイ沖に着水し、ハワイに入国した際、税関で税関申告書を書かされ、出発国「月」、持込物 「月の石、ほこり」という書類も残っている。

 航空機事故の死亡率は100200万分の1と言われており、それに対してスペースシャトルは実績からすると「66分の1の死亡率」となり、今でも飛行士全員が遺書を書いてから打ち上げにのぞんでいる。

 これまでに宇宙へ飛び出した人間は、男性464人、女性53人(20105月時点)で計517人。何回も行った人もいるので延べ人数で言うと1138人になる。

 宇宙飛行士は目立つことから、子供に夢を与える存在、宇宙開発予算を獲得するための要として、テレビ、新聞メディアとのコミニュケーション対策が徹底されており、「怖い思いをした」「当局に対する不満」とかを現役時には言わないよう指導されている。 また、個人の意思を前面に出すこと(小さいころから宇宙に興味があった、行きたかった、皆を代表して宇宙に行く等々)については、多額の税金を使って個人の夢を実現させているのかという批判もある。

 宇宙飛行士は、打ち上げが決まると、打ち上げに備えて、打ち上げ1年前からプライベートでレース、スキーなどの危険な活動をすることが禁止され、8ヶ月前からは野球やバスケットボールなどのスポーツも禁止。一週間前からは風邪などをひかないように関係者以外と会えないように隔離される。

 スペースシャトルの場合、打ち上げ時は、打ち上げの2時間前に搭乗し、上向きのシートに縛り付けられるので、この場合はトイレには行けず、事前に、打ち上げ、着陸時のオレンジ色の 船内宇宙服(カボチャ色(オレンジ色)しているので通称パンプキンスーツと呼ばれるが、正確にはハイプレッシャースーツといい、打ち上げ、着陸時に宇宙船の気圧が低下した場合に備える 服。パラシュート装備。これとは別に訓練用の簡素なパンプキンスーツもある。)の下に「おむつ」をはいている。下着の交換は数日に一回で、汚れた下着や食べ物の包装ゴミは倉庫に一時保管した後、食料を運んできた輸送機に詰めて大気圏に突入させた際に輸送機ごと燃焼させている。最近の衛星は、大気圏突入時に大部分は燃え尽きるように設計されており、日本のH2ロケットなどは軽量化のために風船のように燃料を入れて初めて強度が出るような設計になっている。

< トイレ >

 宇宙空間では、重力がほとんどないので、地上と同じようなトイレは出来ない。地上と同様におしっこすると、尿が狭いコックピット内を漂流し、宇宙飛行士がそれを吸引して肺に入ったり、操縦計器の内部に入ってショートする可能性がある。よって、おしっこ、 散髪する時は掃除機みたいなホースで吸い取る。

 日本人は一日に0.4~2L、欧米人は~0.4Lのオナラをしており、オナラは可燃性ガスであるので、狭い宇宙船や宇宙ステーションに充満すると爆発の危険性があるので、NASAではオナラ対策で研究を進めている。

< 洗面、風呂 >

 手や顔はアルコールか洗剤を含ませたタオルで拭くのみ。歯磨きは出来るが水で口をゆすいで吐き出すことは出来ないので飲み込むか、タオルでぬぐって済ませる。お風呂は体を拭くだけ、シャンプーは泡が飛び散らないドライシャンプーを使い乾いたタオルで拭く。スペースシャトルの一回のミッションは往復15日間程度であるので、この間はいっさい、水のお風呂には入らない。また国際宇宙ステーションでは、6ヶ月間お風呂には入らない。 宇宙ステーション「ミール」、「スカイラブ」には、シャワー付きのお風呂が設置されたことがあった。

参考情報> 国際宇宙ステーション関係は、「宇宙への挑戦」 ニュートン別冊 ニュートンプレス、宇宙ステーション「スカイラブ」「フリーダム」は、「宇宙生活への招待状」TOTO出版に詳しい。

< 睡眠 >

 国際宇宙ステーションは、90分間で地球を一周するので、一日に16回昼と夜が繰り返され、正常な睡眠をとるのが難しく、グリニッジ標準時間を基準にして労働をすることが定められており、しっかりとした睡眠をとることも仕事の一環となっている。無重量状態(=無重力ではない)で寝ると体の体圧が分散され、ぐっすり眠れるという意見もあるが、狭い船内では、交代で誰かが起きており、 また、宇宙船内は二酸化炭素の滞留による窒息を予防するために、常にファンが回っており、結構うるさいらしい。よって、多くの宇宙飛行士は不眠に悩んでおり、睡眠薬を服用していることが多い。

< 体の異常 >

上半身への体液の移動、宇宙酔い> 地上では体液が下半身にたまっているが無重力では体液が上半身に移動し、結果として顔がパンパンに丸くなり(俗にいうムーンフェイス)、鼻がつまったり、嗅覚、味覚がおかしくなることもある 、逆に足は体液が減少することで細くなり、この現象はバードレック(鳥の脚)現象と呼ばれている。顔のむくみは、時間の経過と体液の現象と共に引いていくが、地球帰還時に体液が少ないと失神することがあるために、飛行士は帰還時に大量 (2L)の生理食塩水を飲む。また、吐き気などの宇宙酔いも体液による脳の圧迫が原因と考えられている。 狭い宇宙船内で吐くと汚物が空間を漂い、気管に入って肺炎の恐れがあるので、吐く時はトイレなど、強力な排気装置のあるところに向かって吐き、漂流物は徹底して掃除している。

○食事はすぐに満腹になる、何もしなくても体重は減少する。> 無重力状態では液体は丸くなり壁などにぶつかると広がる特徴があり、少量食べただけで満腹感を感じるらしい。よって、胃の中で広がった食べ物を胃のセンサーがキャッチして満腹になったと感じるものと推測されている。 無重力下では、心臓付近に通常よりも多くの体液、血液が存在することによって、脳が体に水分が多すぎると誤解して、どんどん体中の水分を排出するようになるために、なにもしなくても体重が減少する。 食料は、宇宙空間でやけどをしないために65℃程度のお湯で十分に食べられるように調整されており、打ち上げの重量を減らすために高カロリーで味付けも濃くしてある。

女性はスタイルがよくなる> 女性は乳房、尻が重力の影響を受けないので垂れず、スタイルが良く見えるらしい。ただし、髪も無重力のせいで、アフロヘアのようになる。男性も無重力によって下半身の 30%の血液、体液が上半身に移動するので太ももが円周方向で4cmも細くなる。

骨がもろく、筋肉が落ちる> 無重力状態が長く続くと、体重を支える必要がないので骨に対する刺激がなく、 骨は刺激を受けないとカルシウムを蓄えようとする働きが鈍り、骨中のカルシウムが尿に溶け出して、骨がもろくなる。これは多くの骨粗しょう症患者の10倍の速度で骨がもろくなる(宇宙に1年滞在すると人間の体内にある1kgのカルシウムのうち、約300gも減少するらしい)と言われて おり、このカルシウムが尿管で石となって、尿結石となった飛行士も過去には存在する。

 また、筋肉もおとろえるので、飛行士は毎日、2時間程度自転車こぎなどのトレーニングを行って おり、宇宙ステーションで長期滞在して帰還日が近くなると一日の大半を筋力トレーニングに費やしている。宇宙ステーションで長期滞在した経験が豊富であるロシアにおいては、宇宙飛行士の帰還直後の骨折を防ぐために、ソユーズ宇宙船で帰還した場合は、着地後、自分で動くことは禁止されており、特製椅子にのって医学検査所に人力で運ばれ、医師の指導を受けながら徐々に立ち上がることが許されるという。ただし、飛行時間が2週間程度のスペースシャトルでは、骨の減少も少なく、最近では薬も飲んでいるので、地球帰還後にすぐに歩くことが出来る。

背が伸びる> 重力がなくなり、背骨のあいだにある軟骨が伸びる (=胴長になる)ことで約1-2cm身長が高くな り、背骨中の神経が物理的に引っ張られるので短期滞在では腰痛を感じる。また、足の裏は、体重による加圧を受けなくなるので、血行が良くなり、角質が取れる(見た目は水虫の様)とともに、生まれたての赤ちゃんの足のように、プヨプヨの状態になる。

窒息の危険がある> 無重力では温度差による空気の対流が起こらないので、ずっと同じ姿勢で寝ていると鼻や口の周りに二酸化炭素が滞留し、窒息死する危険がある。そのため、宇宙船、宇宙ステーション 、船外活動服(宇宙服)の中では換気扇で常に空気を循環させている。空気が動かないと、においがこもったり、風邪などのウイルスがずっと漂ったりするのでフィルターを通じて循環させている。 また、宇宙で感動して泣いても涙がこぼれるということはなく、目の中に涙が充満し続ける状態になる。

一日で地上半年分の放射線を被爆> 国際宇宙ステーションが運用されている高度では、一ヶ月で地上の12年分(宇宙ステーション内では一日0.5-1ミリシーベルト)の放射線に被曝 し、これは毎日胸部レントゲン写真を3枚撮るほどの被爆量に相当する。また、太陽フレアと呼ばれる現象がおきた時には、数十倍の放射線に被曝する 可能性があるので、そういう時は壁が厚い場所に逃げ込む。そのため一定の基準放射線量を超えた場合には、計画を中止して地上に帰還することも考えられている。 このように大量の放射線を浴びるので、地球帰還後は一定期間、子供を作る事は推奨していないらしい。宇宙ステーションでは、日常的に高い線量の放射線にさらされるために、体についた雑菌、ウイルスが遺伝子異常で有害な種類に変化する恐れがあることから、絶えず健康状態には気をつけている。

< 地球帰還後のリハビリ >

 宇宙で長期滞在(6ヶ月)して地球に帰還直後の状態> 「地球帰還当日は、身体の重心が全く分からず、立っていられない、歩けない。下を見ると頭がくらくらして気分が悪くなる。歩くつもりで足を出すが、太ももが思っているほど上がっておらずつまずく」。 帰還直後は体のバランスをとる三半規管が地上の感覚に慣れず、立ち上がれない。よって長期滞在した宇宙飛行士は4カ月半かけて訓練し、筋力や感覚などを戻していく。

 ロシアの場合、リハビリは3段階に分けて、帰還後45日目まで続き、基本は毎日2時間づつで、第一段階は介助者をつけて歩行訓練やストレッチ、マッサージ、筋力トレーニングを3日間かけて行う。第二段階は約10日間かけて敏捷性やバランス感覚を高める運動をおこなう。その後、約1ヶ月は温泉や保養所で療養する。


3.0 人類で初めて地球の外に出た旧ソ連の宇宙飛行士 ユーリ・ガガーリンについて

 

 ガガーリンは、大陸間弾道ミサイルを改良したボストーク・ロケットに搭乗して、初めて地球から出た宇宙飛行士として有名。 宇宙飛行士の選抜については、3000名の候補者から選ばれた。日本で、旧ソ連の情報は極端に少ないので、初飛行の状況を知らない人がほとんどではないだろうか。以下は初飛行の際のトピック。

○初飛行は家族にも秘密であり、家族には「遠くに出張」といって家を出た。家族が事実を知ったのは打ち上げ後のラジオ放送を通じてだった。○ボストーク・ロケットは自動操縦だったが、信頼性の点から手動操縦もできるようになっていた。しかし、ソ連当局は、「手動操縦 は信頼性に劣る」と判断し、操縦装置に暗証装置を設置し、パスワードを書いた紙を宇宙船内に隠し、非常事態にのみ、隠し場所を教えるテハズになっていた。操縦といっても、実際には宇宙船のカプセルの角度を少し変えられる程度だった。○生還する見込みが低かった(当時の成功確率は50%)ので 、打ち上げ後に中尉から少佐に二階級昇格させ、宇宙空間のガガーリンに昇格を伝えた。 当時、ニ階級特進は、殉職した兵士に対する処遇だったので、この時点でガガーリンは死を覚悟した。○打ち上げ後、ロケットと宇宙船の分離がうまく行かず、大気圏突入時に激しく回転した。しかし、偶然、大気圏突入時の加熱によってケーブルが燃えて、無事、宇宙船から予定通りパラシュートで脱出することが出来た。当時の宇宙船は、後のソユーズ宇宙船のように地上に着陸時に逆噴射して、衝撃を和らげるタイプではなかったので、上空 からパラシュートで脱出する方法だった。○当時は大気圏突入時に「無線が使えない」ということが分からなかったので、結局、前述の「パスワードうんぬん」は意味が無かった。○ボストーク・ロケットでは、アポロ宇宙船のように海面まで人が乗って帰ってくるのではなく、高度何千メートルからパラシュートで降りてくることになっていて、帰還したガガーリンを初めて迎えたのは事情を何も知らない農家の人だった。人類初の女性宇宙飛行士テレシコワも同じように高度何千メートルからパラシュートによって降下した。 ちなみに、テレシコワはパラシュート降下が趣味であり、この趣味が人類初の女性飛行士実現の原因だった。○ガガーリンが選ばれたのは、共産主義社会において労働者階級出身であったこと、「ユーリ」というロシアでは 典型的な名前であったこと、身長が155cmぐらいと小柄で狭い宇宙船にぴったりだった、冷静沈着で、いつもニコニコしていたからと言われている。○「地球は青かった」という単純なセリフは、後で作られた話であり、当時は 【宇宙で健康でいられるかさえ分からなかった】ので、何分かおきに、詳細に体調、状況を無線で報告しており、「無重力下で、人間は食事出来るか」というのも実験の項目に入って おり、食べ物も一応持っていったが実際には忙しくて食事の時間は無かった。○人類発で宇宙空間に出た女性テレシコワは、打ち上げ中にパニックに陥ったために、 その後「女性は宇宙飛行士に向かない」と判断され、その後、何年も女性宇宙飛行士が搭乗しない原因を作ったとされる。○生物史上初めて大気圏外に出たのはメスのライカ犬(クドリャーフカ(小さい巻き毛の雌という意味)という名前)で、理由は不明だが、帰還時には死亡していた。

3.1 その他、未分類(データの倉庫)

 スペースシャトル1機には約370kmの配線と1060個のバルブがあり、部品の総数は約250万点。

スペースシャトルについては、37回のミッションで5247回地球を周回したディスカバリー号を2820万ドル(約26億円)で販売するそう。

最初の人工衛星は1957年にソ連が打ち上げた「スプートニク1号」。それから6000基以上が打ち上げられ、現在飛んでいるのは3000基ぐらい。

 

○人工衛星の高度と地球公転周期の関係(円軌道の場合)

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高度(km)    公転周期

100        1時間26分29秒(スペースシャトルの標準高度、約90分で地球一周している。)

500        1時間45分8秒(宇宙ステーションの高度は400km、105分で地球一周)

600         宇宙望遠鏡ハッブルが位置する高度 この高度では、なにもしないと約10年で大気圏に自然落下する。

35786       23時間56分4秒(=約24時間で地球一周していることになり、”見かけ上は”ある特定の上空に静止 しているように見えるので、静止軌道衛星はこの高度にいる)

                       この高度では、何もしないと100万年後に大気圏に自然落下する。

40000       27時間36分39秒

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ロケットの打ち上げ費用(2013年時点)---------------------

< 大型 >

米国       スペースシャトル   1800億円

    (開発、維持の総費用 24兆円/ 飛行回数 135回、シャトル後期型の建造費は一機2000億円)

欧州       アリアン5       110億円

中国        長征3        70億円

米国       ファルコン9     54億円

ロシア      プロトン       85億円

日本       H2A        100億円  (H2ロケットのHは燃料に水素(Hydrogen)を使用するから、その前のNシリーズのロケットは日本(Nippon)から)

< 中型、小型 >

インド      PSLV       25億円

ロシア、ウクライナ   ドニエプル  12億円  ドニエプルはウクライナの大河の名前 

欧州      ベガ        42億円

ドイツ、ロシア ロコット      30億円

日本     イプシロン       38億円

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3.2 国際宇宙ステーション

国際宇宙ステーション>  国際宇宙ステーション計画は、日米欧など15カ国が参加した1998年に建設が開始され2011年に完成した。ステーション(=駅)という名称は、将来、ここから月探査や火星探査に出発するという構想があったので”駅”という名称をつけた。 しかし、現在では、宇宙ステーションから他の惑星に出発するという構想はなくなり、単に、無重量試験空間(実際には地上の100万分の1の重力がある)という目的になっており、日本は 累計で約7900億円、現在も年間400億円払っている割には、成果に乏しいので国際宇宙ステーション構想自体が批判にさらされてもいる。

 総費用10兆円を超える人類最大の事業で2020年以降まで運用される計画となっている。宇宙ステーションの大きさはサッカー場程度、内部の広さはジャンボジェット機 の1.5倍程度、重さは640トン。宇宙飛行士が生活する居住棟ズベズダは、旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」とほぼ同様なので、北海道の苫小牧科学館にある「ミール」内部を見学すると宇宙ステーションに入ったことと同じになる。

 高度400kmを周回している国際宇宙ステーション(ISS)では通常、3人のチームが3ヶ月の時間差で6ヶ月ごとに交代し2チーム6人が滞在する。 3人が滞在時には、1機のソユーズ宇宙船(3人乗り)、6人滞在時には2機のソユーズ宇宙船がドッキングしており、放射線異常時、火災、スペースデブリなど、緊急事態時には、ソユーズ宇宙船で地球に帰還するようになっている。ソユーズ宇宙船は、地球への着陸時に背中から着地する構造となっているので、宇宙飛行士が背中を痛めないように宇宙船のイスは、個人に合わせてぴったりと作製されているので、地球帰還時は、自分のイスで帰還することになっている。宇宙飛行士は週5日間午前と午後にそれぞれ4時間の作業があり、マニュアルに従って正確に実行する。作業後は宇宙の無 重量状態では骨からカルシウムが抜けて骨折しやすくなるので、二時間半の体力トレーニングが義務図けられており、ランニングマシンや特製自転車を使って運動する。ISSでの時刻はグリニッジ世界標準時を使用しており、日本とは9時間の時差がある。酸素は酸素発生装置を使用して作成し、人間が排出する二酸化炭素は、吸着剤 (水酸化リチウム)によって回収した後、廃棄される。水は地球から輸送機で運び、飲料水だけで一人当たり一日約2kgが必要となる。

 スペースシャトルでは、打ち上げ時に機体が損傷していないか2日かけて検査するなどして宇宙ステーションにドッキングしていた。一方、ソユーズも打ち上げから2日かけて徐々に宇宙ステーションに近づき、ドッキングしていたが、最近ではソユーズの計算能力の向上&宇宙ステーションの軌道を事前に調整することで、打ち上げから6時間で宇宙ステーションに到着するようになっている。

 スペースシャトル、国際宇宙ステーション内が無重量状態なのは、地球重力の届かない高度を飛行している訳ではなく、実際には宇宙ステーションの高度でも、地球の9割の引力が働いている。しかし、猛烈なスピードで地球を回転することで遠心力が働き、これが引力とつりあっていることで、無重量状態となっており、周回速度が下がると重力に負けて地球に落下を始める。 宇宙ステーションが飛行している高度350-400kmでも、地上の100万分の1程度の空気はあるので、わずかながらも空気抵抗は存在し、放っておくと加速度的に周回速度が下がって、地上に落下を始める可能性があるので、ロシアの補給船プログレスがエンジンを動かして定期的に宇宙ステーションの高度を上昇させている。また、太陽の活動が活発になると大気が熱で膨張し、空気が濃くなるので、空気抵抗が大きくなるという危険もある。

 スペースシャトルの運用が終了した現在では、宇宙船ソユーズが、国際宇宙ステーションへの唯一の往復機関となっている。宇宙ステーションから見られる地球の範囲は東京の真上にいたら沖縄の西表島からロシアのサハリンぐらいまでが見える。 宇宙ステーションは太陽光を反射して光っているので、昼間及び夜は地上から見ることは出来ず、地上が暗くなり、かつ、宇宙ステーションが太陽光を反射している朝か夕方にのみ地上から肉眼で見ることが出来る。これは、地球よりも内側を回っている金星(明けの明星、宵の明星)と同じ理屈である。


以上。